後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

パンを三つ

 昼食に、パンを三つ食べた。

 食べた順に記すと、明太子だかタラコのクリームが入ったパンと、バジルを練り込んだシンプルなパンと、ゆで卵入りのカレーパンである。

 起きた時間が遅かったので、もう昼食とは呼べない時間だったかもしれない。しかし腹は満たす必要があったので、わたしはパンを二つばかり食べようと思っていたのだ本当は。

 それがなぜか(なぜかではない)三つになった。その経緯としては、こうだ。

 まずわたしが真っ先に選択したのは、明太子のパンだった。なぜなら、タラコが好きだからである。最優先だ。これは揺るがない。すると、二つ目のパンのチョイスに悩む。

 実はわたしが食べた三つのパンの他にも、ベーコンと野菜の入った、少しボリュームのあるパン(エピ)と、おやつ用のフルーツが乗ったパイがあった。選択肢は、カレーパン、バジルパン、ベーコンと野菜のエピ、フルーツのパイ、と四つあったのだ。

 しかし迷っていたところへ、家族からの余計なメッセージが寄せられる。

「バジルのパン、昨日買ってきたやつで日持ちはしないからはやく食べてね」と。

 ここで選択肢は消えた。バジルパン一択である。

 それほどバジルパンが食べたい気分ではなかったけれど、昨日買ってきたパンの中から、何を食べたいかと問われて、このパンを選択したのはわたしである。わたしのパンなのである。だからわたしが、無駄にすることなく食べなくてはいけないパンなのである。

 そんな義務感によって、わたしは明太子のパンとバジルのパンを、いつものカフェオレとともに、だらだらネットを眺めながら、もしゃもしゃと食べた。しかし、腹が物足りない。

 時間が遅いのだから軽食でいいだろうと判断したのはわたしだし、そのために、さほど強くない胃腸のためにも夕食のためにも健康のためにも、多少は控えめにしといた方がよいだろうと判断したにも関わらず、パンはまだ、カレーパンとベーコンと野菜のエピが残っているのを知っているのだ。

 ここで欲が出た。人間は弱い。とにかく、もう少し腹に溜まるタンパク質が欲しくなった。肉とは贅沢は言わない。卵でいい。そう、つまりはゆで卵の入った、カレーパンである。

 ふだん、わたしはあまりカレーパンは食べない。辛いものが苦手だからである。しかしカレーパンというものは、あまり辛くはないものだ。しかも、卵が入っている。なんだかそのときは、とにかく卵が食べたい気分だった。

 だったら最初から、カレーパンとバジルパンを選択すればよかったんじゃね? とちらりと思ったが、それは無理なのだ。だってタラコがあったから。ボリュームのあるベーコンと野菜のエピを選ばなかったのが、むしろ理性だ。

 そうしてわたしは自分の食欲を正当化し、遅い昼食としてパンを三つ食べた。

 最近はもう少し控えようと思っていたカフェオレも、結局三杯は飲んでしまったし、夕食後のデザートとしてフルーツのパイも食べてしまったから、その後、不安は的中し腹が下った。

 食い過ぎは、よくない。

話したら脳が疲れた

 久しぶりに母と真面目な話をしてしまったので、とても疲れた。精神的に疲れた。というか、精神が疲れるということは、脳に負荷がかかったということなので、脳が疲れたという方が正確かもしれない。脳が、フワフワしている。

 わたしはとても落ち込んでいる。それは昨夜の、ある気づきが原因だ。その事象自体は前々からあったものだし、ある意味「仕方のない」ことだと諦めてもいたし、薄々わかってもいたことだけれど、実際に目の当たりにして現実を実感してしまうことによって、「もう嫌だ、こんな状況がいつまでつづくんだ。これがこのまま続けば、どうしようもなく悪化する未来しか見えない。耐えられない」と、久しぶりにメンタルがやられた。

 それでも、数年前の最悪の状態よりはかなりマシであることも自覚していて、時間が経てば回復はできるということも、わかっている。

 その愚痴をきっかけにして、会話をしたのだ。

 まあ、きつい。話している間は、勢いもあるし、言いたいことは色々あるし、ときに感情に流され話がとりとめもなくなることはあっても、相手の顔色や反応を見ながら修正したり、フォローしたり、それくらいはできるのである。母は、まだ「対話」ができる人であり、こちらの言うことをまともに聞いてくれる人であるという信頼もある。

 しかし、価値観という前提条件が異なる話題に関しては、どうにもズレがある。ここを、相手が理解していないのだと気づいて、説明したり修正したり、ただ自分はこういう状態なのだ、と伝えるだけの会話が、とても疲れる。そしてその状態から見えている現状と、それぞれの人物に対する認識と、将来に対しての予測を、こう考えている――等々を話す。

 日頃は実のない雑談しかしていないから、たまにこういう深刻な話をするのは、大変なエネルギーがいる。そのせいか、会話が終わった後も、一日ずーっとそれを引きずって気怠く無気力になってしまうのである。

 後悔する。わたしは一体、何を口走ったのかと。それは本当に、わたしの考えなのか本心なのか。どこまで相手に伝わっただろうか。かえって誤解を招きはしなかっただろうか。これが母相手だからまだいいが、他人との会話だった場合、落ち込みは更に酷くなることをわたしは知っている。

 あまりに一気に話してしまったので、自分の中でも、実はしゃべったことの整理なんてできていない。もはや忘れかけていることもある。脳に負荷がかかったので、記憶力も落ちているのだろうか。

 とにかく、そんな感じだった。

 テーマとしては、『自己肯定感の回復』だ。

 わたしはこの数年間で、自分なりにいくつかの実践を試みてきたし、そのいくつかは習慣化することにも成功したが、いまだにその効果を実感できるような結果を得ていない、と。

 とすると、やはりそれはわたしが忌避しつづけていた、他者との交流、コミュニケーションによる承認がどうしても必要なのではないかということと、しかしわたしの性格上、それがいかに困難かという話だ。

 母としては常々、対人コミュニケーションの肯定派であり、社交性のあるポジティブな人であるからして、わたしの結論には賛同するのだ。しかし問題は、「それが実際にはいかに困難か」という現実を、あまり深刻に認識してくれないところにある。

 実は、ここで何年も対話ができずに固まっていたのだ。それに気づいてからも、それを説明するのに何年もかかった。今でも、理解してもらえているのかわからない。

 わたしのような人間が、病院への予約として電話をかけるのにも数日は悩みつづけるということ。友人からの遊びの誘いも、嬉しく思いながらも精神的なプレッシャーとなって情緒的に不安定になること。信頼する人との会話を楽しみ交流しながらも、その後一人になると、死にたいほどに後悔し落ち込まずにはいられないこと。「気にしすぎ」だと頭でわかっていることでも、「気にしないようにすること」自体は不可能なのだということ。

 そんな人間が、対人コミュニケーションによって自己肯定の希望を見出すことは難しい、ということ。

 まあ、実際にはもっと他のことを話したりもしたし、それはわたし自身の話なわけでもなかったが、おおまかに圧縮するとそんな感じの話である。

 疲れたので、わたしはその後、コンビニでティラミスとポテチを買って食った。結論や解決策などは、もちろん出ない。ただいくつかの仮説と、多少はマシになればという消極的な提案があっただけであり、先は見えない。

気がつけば、九月

 気がついたら、『smartnews』というところから、『こむら返りは痛い』の記事に対して集中してアクセスがあり気になっていたのだが、スマホを持っていないのでスマホアプリのことはわからない。気にはなったが、何の役目も負っていないブログのことなので、スルーすることにした。


 あのアホみたいな暑さも多少は弱まり、快適とは言えないまでも、息苦しいほどの熱と湿気に苛まれる日々は越していた。そう、九月になったのだ。
 とはいえ、まだまだ暑い。代わり映えのない日々を過ごしている。――とか思っている間に、なんかあちこちで災害が続いて、ニュースなどを見ていると、なかなかしんどい。
 運動は相変わらず再開できていない。積んである本も消化していないし、気になっていた映画も結局面倒くさくなって観に行ってない。片づけも進んでいない。なにか美味しいものを食べに行こうという気力もないし、カフェにコーヒーを飲みにも行かない。文具の店や本屋にも行っていない。百円ショップにも。
 なんで生きているんだろう、という感じだ。
 いや、まあそんな卑下してばかりでもしょうがない。絵は描いている。個人的な文章も多少は。絵は、ソフトの設定を変えたためなのか、慣れてきたからなのか、かなり調子は良くなった。しかし、また下がるかもしれない。一進一退だ。
 相変わらず、毎週ジャンプも買って読んでる。数週間分、溜めて積んでしまうこともあるけれど。部屋の隅に積み上げたジャンプタワーがある程度の高さになったら、古いものを処分することに決めているので、そこの自分ルールは守られている。辛うじて。
 グラブルもマイペースに進めている。ようやくバハムート武器と天司武器のスキル上げに終わりが見えてきた。何ヶ月かかったのか。
 しかし、目新しいことは、何もない。こうして書き連ねて客観視しても、わかりきっていたことだが、何もないな。そうしているうちに、だいたい物事というものは悪化していく一方なのだが。
 うん、また悲観的になってきた。しかしそれがわたしという人間の、長い時間をかけて培ってきてしまった習性なので、今更どうしようもなかった。
 そして気がついたら、Twitterを始めてから、とうとう八年になっていた。八年。八年間も誰とも交流もせず、ほぼ毎日ひとりで呟いていたと考えると、我ながら、なかなかに薄ら寒い。
 しかし、交流をしない運用をするということは最初からの方針だったので、それを貫いてマイペースにやっていただけとも言える。やはりどう考えても、交流なんて始めてしまったら、対人ストレスでおかしくなっていただろうし。

 そんな感じだ。

 久しぶりに書いてみたけど、やはりまとまらない。とりとめがない。わたしの散漫な脳みそそのままの文章しか書けないのかな、と思う。そうなのかもしれない。よくわからない。でもまあ、またたまに何か書こうとは思う。その気になったら。

墓参

 気がつくと空に鳴る雷の音が凄まじく、寝足りない状態のまま起き出したのである。眠りに就いたのは、朝の九時前であったからして。
 深夜から、ずうっと私的な文章を書いていた。調子が出てきた気がしたので、続けたかったのだ。過集中、というやつだろうか。
 昼食をとり、夕方になったところで母に、「墓参りに行くよ」と告げられた。盆であることを、すっかり忘れていた。毎年忘れる。前日に告げられていたけれど、忘れている。
 行こうか行くまいか迷ったが、結局行くことにした。墓は家からそう遠くはないし、とくに不快なことも不利益なことも思い当たらなかったからだ。
 雨の上がった後の空気は、湿気が充満してきついと思っていたが、それは空気のこもりがちな室内の話で、外気が循環している屋外は、そうでもなかった。
 いつものように調子の悪い、右目のコンタクトレンズを洗い直し、部屋着よりはほんの少しだけはましだろうと思える服に着替える。念のために日焼け止めを塗り、髪を下ろす。髪はまだ中途半端な長さなので、縛るとかえって収まりが悪くなる。
 車の助手席に乗り、埒もない話をしながら、ときおりフロントウィンドウに当たる水滴の存在を気にする。傘は持ってきていない。
 墓に着く。例年つんざくような蝉の鳴き声が聞こえるのだが、今年は大人しい。雨後だからだろうかと考えたが、墓前で合流した親戚によると、今日はこちらでは雨はそれほど降っていないのだという。
 どおりで、墓を清掃したが、雨で洗い流された様子もなく、土埃がこびりついたままだった。
 母は仏花を活ける花立て(花筒、ともいうらしい。名称が分からなかったのでググって調べた)を洗い、掃除用の歯ブラシを持ってくればよかったと言いながら、ゴム手袋をした指で擦っていた。しかし、わたしが桶に水を足しに水汲み場へ行ったところ、そこに備えてある棚には清掃用のブラシが用意されており、先客が花立てを洗っている最中だった。花はもう活けてしまったので、その発見にはあまり意味がなかった。
 そうしているうちに、ぽつぽつと雨が降ってきた。親戚は傘を用意してきたが、こちらにはない。長居するほどの用もないし、線香を供えて、水鉢に水をかけて、手を合わせて、墓参りを終える。雨は強くなってきた。
 帰宅し、しかし毎度ながらこういう行事は、気持ちの置き所がよくわからないと省みるしかない。とにかく実感がない。何に対して、何の実感がないのかも自分ではよくわからない。
 来週には、少し離れたところに住んでいる親類が、墓参りのために家に寄るという。正直、なぜみんなそんなに律儀なのだ、と居たたまれない気持ちもする。

便所のバラ

 便所にバラの花が飾られている。一輪挿しのときもあるし、二輪のときもある。

 母が飾っているバラだ。赤いときもあるし、クリーム色のときもある。家にある鉢植えから、咲いたものを切って飾っているのだろうが、詳しくは知らない。

 バラは好きである。花は好きである。美しいから、目で見て楽しい。

 いや、楽しい、というのはいまいち的確な表現なのかわからない。好ましく、わたしの心にとって心地よいと感じる。癒される、という感覚に近いのだろうか。そうかもしれない。

 美しい花を見ると、好ましくないものが、ストレスとか不安とか苛立ちとか怒りとか、そういうものが頭を占めているという状態を、少しだけ緩和させる効果がある。

 美しい、好ましい、と感じられるものが、この世には確かにあるのだと、自分の目で確認できるということは、救いでもある。花は、わたしにとって、その一つだ。万能ではないが、効果はある、という類の。

 しかし生花は、すぐに萎れてしまう。仕方のないことだけれど。花は、切り取ってあろうが、土から生えていようが、いずれ萎れるし枯れるのである。

 緑色だった葉は、縁から赤茶けてきているし、張り艶のあった花弁は、皺がはいって縮んできている。純粋に美しい時は、あまりに短い。

 それでも、飾るなら造花よりは、生花の方がいい。造花には魅力を感じないし、癒されない。

  ここまで書いておいて、しかし、我が家の便所にバラは少し邪魔とも感じる。

 なにしろ、スペースが狭い。かろうじて花瓶を置ける幅はあるから、置いているわけだが、ちょっと強引な配置な気がしないでもない。何かの拍子に、腕をぶつけてしまわないかと気を使う。

 そういう、ある種の緊張感を伴って見ることになるバラは、美しくても、ちょっと落ち着かない。癒やし効果を、損なう。

 やはり、美しいものを見て楽しむにも、場所とか状況とか、そういうものは重要なのか。便所だからこそ、ちょっとした彩りをと心遣われて置かれたバラであるはずなのに。

 なんだか、また厄介な、矛盾を感じてきて勝手に戸惑うわたしだった。

こむら返りは痛い

 ブログ休止するとは書いたけど、なんか書き留めておきたいことがあったら、不定期に書こうかなという気になってきた。というか、一年続けてしまったので、習慣そのものが消え去ってしまうことに、恐怖を感じるようになってきた。

 運動でそれを後悔しているので、こっちは適当にやろうと思う。まあ、何もなかったら何も書かない方針でいくつもりです。

 

 数日前、というか具体的には七月三十一日、ベッドから起きようとしたら、右足のふくらはぎに猛烈な痛みが走った。こむら返りである。

 端的に言って、めちゃくちゃ痛かった。人生のこむら返り史上、最高に痛かったんじゃないかと思う。

 わたしは、起きて足を伸ばすとき、よく左足のふくらはぎがこむら返りを起こす。だから対処には慣れてはいたし、なったと感じた瞬間に、痛みを緩和させる姿勢になることにしていた。

 しかし今回は、それがあまり効かなかった。ちょっとはマシになったが、本当にちょっとで、相変わらず痛い。横になったまま苦痛に耐え、姿勢を何度か微調整しながらようやく落ち着いた。

 酷い目に遭った、と思った。そこで終わったと思っていたら、痛みは結局、翌日も、その次の日も後を引いた。ふくらはぎを伸ばすと痛く、右足を引きずるようにしないと、まともに歩けなかった。こむら返りを舐めてはいけない。

 原因は何だろうか。思い当たる節が多すぎて困る。運動不足だし、夏場だから水分不足だったのかもしれないし、ここ何年も健康診断に行ってないので病気なのかもしれないし。

 そこで思い出したのだが、そもそもわたしが運動をしようと決意した原因のひとつが、こむら返りが頻発することだった。

 とくに大きかったのが、二〇一一年のことである。家族が入院していたとき、わたしは病院から家に戻る途中、夕食を買おうと、駅前のコンビニに入って弁当を物色していた。そのとき、いきなり両足のふくらはぎが攣ったのだ。

 なかなか、衝撃的な体験だった。立ったまま、両足の激痛で身動きが取れない。そのまま痛みが引くまで何もできないのである。あのときはさすがに、自分の運動不足に危機感を覚えた。痛みは人間の楽観を吹き飛ばし、否応なしに現実を突きつける。

 まだ弁当コーナーの前でよかった。単に弁当買うのに迷っているだけの人に見える。それほど不審には思われない。まさか、両足が同時にこむら返りになって動けないでいるとは周りの人たちも想像できないだろう。

 運動を、再開しなければならない。そう思いながら、しかし暑くてあまり動きたくないから、水分補給とか、ストレッチとかマッサージくらいはしようかなと思ったのだった。

一年

 このブログを始めてから、とうとう一年経った。

 というわけで、ここで一旦休止しようかなと思ったわけである。きりがいいし。

 とりあえず、毎日千字程度の文章を書くという習慣をつけてみたい、という最初の目標は達成されたと思ってもいいはずだ。しかし、実際にやってみると、一年というのは長いのか短いのかわからない。

 世の中には、「最低でも十年」みたいな、厳しいことを言う人もいるわけだし。「石の上にも三年」という諺から考えると、まだ三分の一と考えることもできる。

 しかし、目的もなく方針もなく、気儘で自由と言えば聞こえはいいが、とくに何かを書き残したい熱があるわけでもなく、ひとを楽しませたり喜ばせたりするわけでもなく、世の中の役に立つ情報を発信するわけでもなく、ただ面白みのない個人がひたすら日常のしょうもないことや内省をひねり出してるだけのブログとしては、充分な気もした。

 最近ツイッターで、「ブログも内容や質にこだわらず、毎日更新すれば上達するし、評価ももらえるようになる」というような呟きがわりと拡散していたのを見て、つい、「ま、『そーいうのは嘘だよ』と確かめるためにブログを持続していたようなところがあるよなぁ」と、思ってしまった。

 文でも絵でも、上達するにはそれなりの理論に則った反復が必要だし、ある程度の評価を得るには人間の信頼関係を構築する必要がある。そのどちらも疎かにして、ただダラダラと続けただけで得られるものなど、あまりない。

 とはいえ、最初は書くのに苦労していたところも、半年を過ぎればだいたい慣れてきてスピードも上がり、書くということへの抵抗が減ったのは確かな成果だとは感じている。

 ちなみに、ここ一ヶ月のPVは614、一日平均約20、といった感じだ。個人的な感覚としては20もあるのかという感じだが、フォロワー数一桁のツイッターアカウントのインプレッションよりも、断然少なかったりする。

 とくに何の工夫もなく、今の自分にできるやり方で毎日ブログを継続するというのは、だいたいこんな感じかぁ、という結果は得られた気がするのだ。

 それに、これはわたしの性格の問題なのだが、やはり思うところがあっても、書けない物事の方が多すぎるのだ。最初はブログを始めてみれば、ネタのために何か活動的になったり、前向きになったりしないだろうかと思ったこともあったけど、まあ、そんなことはなかった。

 思い出してみれば、「やる気を出すために、まず道具を揃えよう」と買ったアレやコレを、散々無駄にしてきた人生である。ブログを始めたくらいで、その基本的な生活態度が変えられるはずもなかったのだ。

 もしかして、これを週一くらいのスパンにすれば、また違う景色が見られるのだろうか、ともちらりと考えた。毎日、という縛りを自分につくってしまったから、逆に視野の狭いブログになってしまったんじゃないか、とか。

 しかしまあ、一年は続いたのだ。続けられた、という思い出ができただけでもよしとしよう。