後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

八月が終わってしまった

 とうとう九月になってしまった……。

 九月。九月……秋。夏の終わり。

 わたしはこの夏に、何をしただろうか。一つの季節が区切りを迎えるたびに、ついそんなことに思いを馳せずにはいられない。結論から言えば、ろくなことはしていない。思いつきでブログを始め、気まぐれで美術館に行き、たまには本なども読むが、概ねネットやソシャゲやお絵かきにだらだらと時間を費やしていただけだ。

 ブログを自分に義務づけたなら、もう少し時間の使い方も変わるかと思っていたが、むしろPCを起動する時間が増えたので、ダメになってる感じがする。

 生活習慣の改善、難しい。

 しかし、どんなつまらないことでも、持続することによって見えてくるもの分かってくるものはあり、それがあるから続けられる。逆に言えば、それがあるがために、どんなくだらないことでもやめられなくなってしまう、ということでもある。

 習慣と惰性は似たようなもの、とか言っていた人がいたが、誰だったかは忘れた。ネットのどこかで見たのかもしれない。

 惰性は、おそらく依存と同じだ。それを打ち切る強い動機や目的、意識が自分の中に立ち上がらない限り、だらだらとそれを持続することに安定したがる。わたしは自分のこの惰性に嫌気がさしている。さしているのに、変えられない、変える方法がわからないでいる。

 これもネットのどこかで見た説だが、自分を変えたかったら環境や人付き合いそのものを変えるのが一番手っ取り早い、と。まあ、それだよな、と思った。自分の意思のみで変えようとするからしんどいのであって、環境を強制的にリセットというか、変化を与えられれば、それをきっかけにして変わるのは、自力のみで変わろうとするよりは容易いだろう。だから高校デビューだの大学デビューだのといったものがあるわけで。

 しかし現状、環境を変えるとなると、逆に「環境を変えるための強い意志」や金が必要になってくる。全然手っ取り早くない。むしろ大変だ。

 というわけで、当分はこのまま生きてしまいそうな気がする。