後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

さらば新着

 あ、ついに消えちゃったんですね。

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 たまに覗いてたけど、まあスパムも多かったしね。仕方ないのかね。どんなシステムでも悪用する人はいるからね。世知辛いね。

 このブログは自分のために個人的なことを書いているだけなので、アクセス数を増やすことは目的にしていないのだが、読む側としては、知らないブログにはどうやってアクセスすればいいんだろうな。

 ネットって、繋がっているようで繋がってないよね。中年なので覚えているんだけど、九十年代辺りのインターネットに対する期待感ってやたら熱くって、「これからは一億総クリエイター時代だ」みたいなことまで言われてた。ひねくれ者だったわたしは、「んなわけねーだろ」と思っていた。ちなみに、その頃のパソコンはまだとても高価だったのでネットはやってなかった。その後、ネット環境がなければ仕事に支障が出るという段階になって、我が家にもパソコンとネット環境が導入されたわけだが、そこで触れてみた正直な感想として、「人は基本的に自分の興味あるものにしか繋がれないな」ということだった。

 繋がるということは、そこに無限の可能性が広がると期待されていた時代が確かにあって、九十年代後半からゼロ年代くらいまではまだその残滓があったんじゃないかと思うけど。殆どの人は、繋がってみたら、そんなものは幻想だったと気づくしかなかったんじゃなかろうか。

 可能性の限界は、自分自身の限界でもある。自分の外にいくら無限の世界が広がっていようとも、触れられるのは自分の意思で選択し、手を伸ばし触れられる範囲に留められる。いくら世界と繋がっていようと、日本語しか読み書きできない自分には海外の情報を得る術はないし、物事の真偽を自分の頭で確かめる知識もリテラシーも足りないことには自覚がある。(というか、ある程度SNSの情報の波に揉まれることによって学習した)

 たとえネット越しであっても、他者と円滑に交流するには最低限のコミュニケーション能力も必要だ。誰でも情報発信はできるかもしれないが、伝えるためには文章を書いたり、絵を描いたり、動画を作ったり、しゃべりが上手くなければならない。

 様々な機会は広がり、ハードルは下がったとは感じる。だが、わたしの方は何も変わりゃしない。むしろ劣化している感すらある。

 世界は狭い。わたしの力では届かない。相変わらず、わたしにとっての世界は小さくせせこましい。それがわたし自身の限界だからだ。そして、その狭い世界で生きることに慣れてしまった。外に出る気力がないし、外への出方もわからない。困ったもんだ。

 こうしてつらつらと書いてみたら、なんか十年前には言い尽くされているようなことしか出てこないな。そう、つまり、そういうところに自分の限界が露呈するよなぁ、と客観視してしまうと何も書くことができなくなってしまうので、開き直って吐き出してみるためのブログなのだった。