後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

虫よ虫よ

 今日は部屋のライトのシェードを掃除することになった。昨夜、なんか頭上でパタパタと音がするな、と思って見あげたら、虫がいた。虫がライトに突進して、シェードに体当たりして音を立てていた。「あー、外に追い払わないと」と思いながら、作業が一区切り付くまでとパソコンに向かっていたのだが、気がつくと灯りに闇雲に突っ込んでいく哀しい虫は、シェードの内側に入り込んで出られなくなっていた。

 これには困った。わたしにとっても虫にとっても、同時に喜ばしくない事態だった。

 そもそも、このシェードは何故こんな食虫植物みたいな構造をしているのだろうか。虫が入れる隙間はあるのに、一度入ると出られない。虫はシェードの内側でもがくように羽ばたきつづけ、ライトの熱に照射され死ぬ。そして見上げると、薄いシェードの膜越しに力なく横たわった黒点が映るのだ。

 放っておいても、嫌な気分にしかならない。

 そういえば、灯の交換をしたのはいつだったろうか。たしか年の暮れ、夕方に急に切れてしまって、慌てて買いに行った記憶がある。メモを見ると、どうやら三年前のようだ。ちょうど交換時期かもしれない。

 忘れもしないが、わたしはライトを交換し、シェードを再び取り付けようとして脚立からバランスを崩し倒れかけ、シェードを破損してしまうという失敗を犯している。あれはきつかった。シェードは確か、送料含めて7000円くらいした。以来、わたしはシェードの取り外しと装着は慎重に行うように気をつけている。

 シェードは直径60センチの円形だ。外すのはさほど手間ではないが、問題は取り付けるときだ。「ここを合わせる」という印が付いてはいるのだが、シェードを抱え、天井を見上げて構え、被せると印は完全に隠れて見えなくなる。装着時には目視できない位置にあるのだ。この理不尽にわたしはとても腹を立てた。「見えない目印をどうやって合わせろっつーんだよ!」と苦労したせいで、わたしは脚立からバランスを崩したのだ。

 シェードは「だいたいこの位置かな?」というところに適当にあてがって、勘を頼りに回転させるしかなかった。まあ結果から言うと、それで無事装着はできた。しかし、これは高齢者などには無理な作業ではないか? とわたしは考えた。家の中には、生活に必要なのにメンテナンスのしやすさというものを考慮していないものが多すぎる。そりゃ地元密着型の家電店が、高齢者向けサービスをやるわけだ。企業はもっと考えてものを作ってほしい。でないとわたしのような心の弱い人間が泣く。

 話が逸れた。そのあまり楽しくない作業を、虫一匹の亡骸を取り除くために行わなければいけないということに、わたしは少し落ち込んだ。だがやらないわけにはいかない。

 虫よ虫よ、憐れな虫よ。おまえは何のために生まれてきたのか。こんなシェードの中で閉じこめられて死ぬためではなかろうに。だがわたしだって、こんな人生を送るために生まれてきたわけではないのだから、恨むでない。

 そしてわたしは埃と虫の死骸を拭い、何事もなかったかのように白く静謐になったシェードを見上げるのだった。めでたしめでたし。

 

 

 ……えー、ところで昨日書いた電波時計ですが、気がついたらライトボタンも温度計も反応しなくなっていたので、本当に純然たる「ただの時計」になっていた。笑うしかない。もうこうなったら「これを定価で買ってしまった人の気持ちを考えよう」と、相対的に自分を慰めることにした。