後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

可能性を眺める

 急に寒くなった。予報通りなので慌てることはないが、寒いものは寒い。昨日は暑くて冷房をかけていたくらいだったのに、えらい気温の急降下だ。さすがにパジャマも冬用をださないと風邪をひく可能性があるな、と引っ張りだしてみたのはいいが、案の定脂臭い。衣替えにはよくある事態だ。

 引っ張りだして着てしまった以上、わざわざ脱いでファブリーズするのも面倒くさく、結局そのまま着ている。脂の臭いに包まれている。もの悲しい。

 そのもの悲しい臭いを纏ったままわたしは何をやっていたかというと、なぜかひたすらネットでフォントを調べていた。たまにそういう気分になる。ひたすら食い物のことを調べたり、文具のことを調べたくなったりするのと同じだ。

 フォントを色々と調べてみるのは好きだが、べつに詳しいわけでもなく、見比べてすぐに判別できたりもしない。ほとんどは微妙で見分けが付かねーなと思っているくらい認識は雑なのに、見るのは好きなのである。しかも、別に好きなフォントとかがあるわけではない。こだわりもない。ただ、なんとなくいい感じのするフォントがないかなー、みたいな気分で眺めている。ウィンドーの向こうのケーキを眺めるようなものだ。舌が肥えてるわけでもなく、見て何がわかるわけでもなく腹がふくらむわけでもないが、眺めるだけでも楽しい。

 これはフォントに限らない。お絵かきするときの素材やブラシを眺めるのも好きだ。デジタル用の素材集みたいなものも見ていて楽しい。だが、写真やイラストのようにそれ自体情報量の定まったコンテンツのようになっているものは、それほど面白く感じない。

 なぜだろう。考えてみたが、なんとくそれら素材の持っている工作の部品のような「可能性」に期待感を煽られているのかもしれない。文具が好きなのと同じだ。自分が使いこなせるかどうか、手が届くかどうかは問題ではない。これを使えたら、なんかいい感じの作業ができるのではないか? という夢想的な憧れがあるから楽しいのだ。

 まあ現実逃避的ではあるよなぁと思いつつ、べつにいいじゃないかとも思う。可能性に夢見て生きるモチベーションが上がるなら、それが一番安上がりだ。