後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

変わりゆく街

 本日、とある駅前へ行くと、わたしが子どもの頃からあった店のいくつかに、閉店を知らせる張り紙があった。その辺りは数年前から開発が進み、かなり景色が変わってはいたが、その中でもまだ古い店舗が複数残っていた通りだった。

 自分の知っていた景色はこうして、いつか跡形もなくなるのだなぁと思った。

 その通りには、わたしが中高生の頃に通ってポイントカードを貯めたCDショップがあった。そこそこ大きな二階建ての家電チェーン店もあった。本屋もあったし、一時的に中古ゲーム店があったりもした。初めてコンタクトレンズを買ったメガネ屋や眼科もあった。店の入れ替わりはあっても、通りそのものは何十年と存在していたのが、次はそれすらも消えていくのだ。

 バスのロータリーは昔に比べて随分と使いやすくなったし、道が狭くて危なかったところも拡張されて通りやすくなった。新しい店もでき、開発にはもちろん様々な恩恵もある。べつにノスタルジーに浸って、何もかも昔は良かったと言うつもりもない。

 ただ、街からは本屋が消え、映画館が消え、CDショップが消え、ゲームセンターが消え、百貨店が消え、そして戻ってこない。かわりにパチスロ屋が増え、チェーンの飲食店が増え、コンビニが増え、ケータイショップが増え、それもまたいつかは消えるのだろう。そういう移り変わりに、これから先も適応していけるのだろうかと不安になるのだ。

 車を運転していたとき、通りかかった汚いドブ川を眺めて、昔はよくここで泳いだものだと語っていた父を思い出す。川は川として残っていても、それもまた同じ川ではない。人間一人が産まれて死ぬ間にも、色んなものがめまぐるしく変わっていく。わたしはそれに抗うことはできない。なんとかしがみつくようにして、その変化に合わせていくしかないのか。

 大変だなぁ。疲れるなぁ。と、憂鬱になる。

 家の近くにも、最近新しいスーパーマーケットができた。そのために、他のスーパーマーケットの客が少なくなったように感じたという話を聞いた。新しい何かができる。それはその場所に、様々な影響を与える。そうして暮らしが変わっていく。

 駅の近くは、またマンションを建てる工事をしている。人口が増えると、路線はまた混むのだろうなと想像して、うんざりする。人が少なくても栄えなくて困るが、増えたら増えたで起きる問題もある。

 そもそも、わたしがこの駅に来るのは、市内の駅にまで行く公共の交通手段がないからだ。駅の周りがいくら開発され栄えたとしても、まったくこっちには届いてこない。市議会議員は、立候補するときだけ公約として「市内循環バスの充実」を掲げるが、それがこちらの地域まで行き届いた試しはないので、もう信じていない。