後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

書きたくはなくても書く理由はある

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

 

 初っぱなから全否定で恐縮だが、わたしに「ブログを書きたくなるとき」というものはない。今のところ、わたしにとってのブログは「書きたいことがあるから書く」ものではなく、「書こうと決めたから書く」ものだからだ。とりあえず書くということを自分の中で義務にし、習慣にするために始めたのがこのブログである。

 「書きたいもの」があったとしても、わたしはそれを上手く文章にできなかった。断片的というか、とりとめがないというか、前後関係も論理構造もあやふやで、書いているうちに感情が混乱し、自分は何を書こうとしていたのかわからなくなり自信がなくなり、呆然とする。どうして書けないのか、わからない。そんな状態だった。

 まあ途中経過には色々あったのだが、わたしは「文章の書き方について」の本を読んだりするようになった。遠回りではあったが、そこから得た結論を言うと、「あー、こりゃまともに文章なんて書けるわけねーわ。だって、まともに文章書けるようになるような教育まったくされてねーし、知識も皆無だもん」だった。

 いや、課題としての作文だの小論文だのレポートだのは書いた経験はあるのだが、「書き方」を教わった記憶はまったくなかった。せいぜい思い出せるのは、小学生の頃の「原稿用紙の使い方」くらいだ。大学で一応それっぽい一般教養の授業もあったが、それ以前の問題だった、ということにようやく気づいたわけだ。(教科書には一応、○○の文の書き方、みたいなものが載っていたが、授業がそこに触れることはなかった。課題を提出してダメ出しを受けたことだけは覚えている)

 しかし、そうして「なるほどそういうことか」と知識や情報を得たところで、文章というやつは書けるようになるわけではない。文章だけではなく、絵も音楽もスポーツも同じだ。実践しなければ身につかない。そこでまた一つ、ハードルが上がる。

 苦手を克服するには、苦手なことを実行しなければいけない。それなりの目的意識ややる気がない限り、苦痛でしかない。なのでわたしは、本などは読むだけ読んで「へー、なるほどねー」などと思いつつ、とくに文章を意識的に書くという行動を取らなかった。必要がなかったし、目標もやる気もなかった。

 ただ、記憶に残ったこと、思いついたこと、何かの感想を書き留めようとするときに、いつも困った。書けないことに落ち込んで、自己嫌悪になった。べつに上手い文章や面白い文章を書けなくてもいいけど、せめて自分で思ったことや、出来事の記録くらいは文章として書けるようになりたいものだ、とは思っていた。

 そういう想いが煮詰まるまでには、けっこうな時間と諦めが必要だった。

 諦めることによって、何か新しいことを始めてもいいかと思えるようになる。自分のやることに、過剰な結果を期待しなくなる。やってもやらなくても何も変わらない程度のことだから、やってもいいかと開き直れる。このブログは、そんな感じで始めたものだ。

  ブログを三ヶ月続けてみて、「書きたくなったとき」は一度もない。書かなくてすむなら、その方が楽だ。ただ、続けられたという結果があるなら、それ自体がわたしに生じた変化なのだ。わたしはその変化を欲しているので書いている。