後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

付箋が使えないことに気づく

 

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 付箋、というものは、使いこなせれば便利なものに違いないと思っていた頃が、わたしにもあった。あったんですよ。ええ。おかげで使いもしない付箋ばかりが増えていくことに気づいたのは、最近のことだった。遅い。遅いよ。

 なにしろ、文具の進化は早い。付箋というものは紙で出来た蛍光色のメモだと思っていたら、いつしかフィルムとなり半透明となり、柄ものとなりキャラものとなり、ロール式にもなっていた。付箋の可能性が広がれば広がるほどに、どのように使いこなせばいいのかわからなくなっていく。

 わたしの付箋の使い方といえば、未だに何年も前に買った無印の付箋が消費しきれず、読書のときに栞や目印として使うのがやっと。あるいは、正方形の少し大きめのクラフト付箋を買ったはいいが、未使用ノートに、自分への戒めとして購入年と定価を記入し「なぜ使えないか」をメモして貼り付けてあるという不毛っぷり。使いこなせていない道具に、「お前、コレ買ったはいいけど使いこなせてないって忘れるなよ!」と注記を書いているのである。嗤わば嗤え。ちなみに、まだ大量に残っているその付箋は、今では机の上で小物を置く台になっている。

 最近は付箋ノートなるものも流行っていると知り、かすかな憧れを抱きつつも、「でも、いざやろうと思ったら、絶対悩む。どのサイズのどの色の付箋にどんな内容を書けばいいのか決められずに、パニクって結局何も書けない自信がある!」と、我に返る。

 そう。そんなことにすら悩んで胃がむかついてくる自分は、結局B5のノートをバラしたものかレポート用紙に、「付箋を使うにはどうすればいいのか?」みたいなことを書きはじめるので、たぶん付箋に向いていない。

 それなのに、どうしてわたしはけっこうな数の付箋を買ってしまったのか。計画性のないダメな人の特徴として、道具の使い方は買ってから考えればいいやと思ってしまうからか。道具を揃えさえすれば、何か生産的な行動が捗るとでも夢見ているからか。きっと両方なので、わたしは「うぎゃあぁぁぁっ!」と自分の無能さに悲鳴をあげてのたうつしかない。いい歳して付箋ひとつでこの有様である。嗤わば嗤え。