後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

電波時計の復活

 一ヶ月ほど前に、こんなものを書いたわけだが。

mkhs.hatenablog.com

 このときは、「リセットボタンを押しても直らなかったら精神的にしんどいので、その確認作業すらしたくない」という弱気な理由で、電波の届かない、温度計も機能しない、ライトも点かない、せっかく買った電波時計を純然たる「ただの時計」として机に放置することになった。

 そうして一ヶ月経った。わたしは昨日今日と連続して小説を読みつづけ、思考がほどよく現実の不安から飛んでいたのがよかったのか、読書の途中でふと「……今ならリセットボタン、押せそうな気がする」と思い立ったのだった。

 今なら、もし、リセットボタンを押しても直らなくても、その現実を受け入れられるような気がした。なにしろ一ヶ月は「ただの時計」として使用した後なのだから、また同じ状態になったとしても、もうそれほどのショックはない。最悪なのは、ただの時計としても機能しないほど壊れてしまうことだが、その可能性は低かったし、さほど高価なものでなかったのだからと諦めることはできるだろうと考えた。

 そこまで考えなくてもよさそうなことを、考えなくてはと不安に駆られて落ち着かないのがわたしの人生なのでしょうがなかった。

 読みかけの本に栞を挟み、時計を、前にもしたように電波の届きやすいと思われる洗面所へと持っていく。背面の小さなくぼんだリセットボタンを押すために用意したのは、木製の耳かきだ。いや、竹製だったかもしれない。耳かきの反対側にあった、白いポンポンみたいなのがとっくの昔になくなっていて、木だか竹だかの細い棒と化しているので、こういう用途にちょうどいい。

 ぐいっ、と耳かきを押しつけるようにしてボタンを押すと、液晶の画面が、びゃっと怪しい感じになる。それまでおとなしく、つまらないただの時計の面をしていた機械が、外部からの刺激を受けて、剥き出しの何かを吐き出すように画面は一瞬混沌とする。

 これだ。と思った。こういう一瞬を目の当たりにすると、わたしはちょっと困る。正常でないデジタル表示画面は、決定的な不具合やエラーの取り返しのつかなさをわたしに想起させて、焦らせる。

 しかし今日のわたしの精神は穏やかだった。そのまま何も考えずに、「一六分待てばよい」と、時計を洗濯かごの上に置き、読書へと戻る。

 そして一六分後、時計は無事に電波時計として正常に電波を受信し、時刻を表示し、温度を永遠の「27.1」から更新し、ボタンを押せばライトも点いたのだった。電波時計は、電波時計としてようやく蘇った。バンザイ。バンザイ。めでたし。めでたし。

 部屋に持ち帰り、ちょっとした室温の変化にもちゃんと反応して数値を変える時計が、なんだか愛しくさえ感じた。一ヶ月も放っておいたのはわたしだが。そしてよく見ると、電波を受信している徴が「E」となっている。はじめて受信したときは、「W」だったのに。

 「E」は East 、東。「W」は West 西のことだ。電場を送っている基地局は、日本に二カ所あり、東は福島、西は九州にあるらしい。「E」と「W」は、そのどちらの電波を拾っているのかをあらわしているらしいのだ。ちなみにここは関東なので、距離としては九州よりも福島の方が近いのだが、カバーしている範囲からすれば、べつにどちらでも同じらしい。

 それが受信できなくなっていたことと、何か関係があるのかないのか、わからない。しかし、行ったこともない遠い九州よりも、親戚も住んでいて子どもの頃から行き来している福島の方が、電波といえど親近感がある。

 このようにして、わたしは多少浮かれているが、気を引き締めなくてはならないと自戒する。そう。前回だって、その日一日はちゃんと電波を受信していたけれど、寝て起きたら受信しなくなっていたのだ。今回も、またそうならないとはいえない。

 またこんな記事をダラダラと書いたけれど、明日になったらすべてがパァになっていた、というオチだったら、もう嗤うしかない。