後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

有意義な一日

 いつもよりちょっとだけ早めに起きると、今日こそは有意義なことをしなくては、と焦りだす。そして、「いやちょっと待て。焦るなそれは義務じゃない。焦るとろくなことにならない」と自分に言い聞かせるのだが、だいたいどうにもならないのである。

 今日は天気もいいし、読み終わった本を返しに行くついでに買い物にでも行こうか、なんて気持ちが湧き起こってきて、更に焦る。思考が矛盾し二重になる。

「行きたい。外出しなきゃ勿体ない。借りたい本もできたし」

「いやいやいや、ちょっと待て。返すのは来週でもいいかって考えてたじゃん。買い物に行ったら、また絶対に無駄に金使うじゃん。今日は家でおとなしく片づけとか、積んである本とか読もうよ。出かけるとそっちが全然進展しないから、反動で自己嫌悪になるんでしょう? 何度同じ葛藤したら気が済むの?」

 どちらも紛う事なきわたし自身の意思なのだが、それがぐらんぐらんと揺れて落ち着かない。実際、そういうときのわたしは、狭い家の中をぐるぐる歩きながら考える。冷蔵庫を開けてみたり、とりあえず風呂掃除を先にすませたり、爪を切ったりしながら、まだ考えている。

 決断力がない。

 そして結局どうしたかというと、ずーっと、ネットやってた。

 最近興味を持った分野のことを、ずーっと調べていた。調べるというか、眺めて空想して楽しんでいた。これを始めてしまうと、いつまでも時間が潰せて怖い。趣味の世界なので、情報を漁るだけでも、飽きるまで溺れてしまう。

 そして時間が過ぎ、深夜になり、「あー、またやっちまった……」と、冷静になるのだ。今まさに、冷静になって後悔している真っ最中である。いや、後悔というより、どうしてもう少しバランスよく時間配分ができないのか、わたしの時間感覚はどこか鈍いのか、また悩みが増える。

 有意義な一日。ふり返ると鼻で笑ってしまうほど悲惨な結果なのだが、それでも起きるたびに「よし、今日こそは」と思えるのは、まだ幸いである。同じことを繰り返しているなと思っても、次に起きたときに「よし、今日こそは」と、思えることに、実はかなりほっとしている。そう思えない年月もあったからだ。うん、あれはつらかった。

 起きたらすぐに死にたくなるような精神状態で生きるよりは、不毛でも「今日こそは」と思える方が、まだましである。

 願わくば、明日も明後日も「よし、今日こそは」と思える程度の気力はもって生きられるといい。