後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

昨日のちくわ

 わたしは食べたものを、手帳に記録している。

 ちょうど2015年の元旦から始めたのだけれど、目的は健康管理やダイエットのためではなく、手書きでものを書く習慣を復活させたかったからだった。

 その頃、もう何年も手書きでまともに書きものをしていないんじゃないかなぁと気になっていた。自分の脳みそが、ひどく衰えていると感じていた。ストレスも多かったし、何もやる気が起きなかったし。

 そこでまずは、ともかく毎日何かを記録するということをしてみようと考えた。毎日必ずすることといえば、食事である。食べたものを記録するというのは、健康管理のためにもなりそうだし、「食べたものを思い出して書く」というのは記憶力のためにもよさそうだと思えたのだ。

 最初は、150枚で70円くらいの、B7のメモパッドに、黒のボールペンでただずらずらと列記していくだけのことをしていた。とくに区切りもなく、決まりもなく、ただ書き出す。それだけ。今は見開き二週間の手帳に、色分けして書いているが、初めはとにかくハードルを下げておこうとした。

 そして書いてみてわかってきたのだが、やはりわたしの記憶力は信用できない。

 とくに思い出すのが難しいのが、味噌汁の具だ。つい十分くらい前に食べたばかりだというのに、何が入っていたのかをすぐに忘れる。今では食べるときにいちいち「よし、覚えるぞ」と意識して食べるようにしている。

 その反対に、なぜか詳しく覚えていられるのが、サラダに入っていた野菜だ。不思議である。覚えていられない食材と、覚えている食材の差は何だろう。食べているときの意識の差だろうか。汁物と生ものでは、生ものの方が印象に残りやすいのだろうか。汁物は味が統一されているから、具が記憶に残りにくいのだろうか。そんなことを考えるようになった。

 あと、これは興味があるかないかの差だと思うが、魚の名前がわからない。とくに、アジとかイワシとか、ぱっと見でわからない。サバはまだわかる。食べてもわからないので、家族に質問すると「わからないの?」と驚かれた。うん、わからない。魚、むずかしい……。

 そして食事記録をつけてから、もう三年は経つというのに、未だにちょいちょい一品忘れていたりして、翌日になって冷蔵庫を開けたりしたときに記憶が刺激され「ああー、コレ書き忘れてたー!」となる。

 今日は、昨日の夕飯にちくわを食べていたことを忘れ、そして思い出した。しかもそのちくわ、家に届いて自分で冷蔵庫にしまい、「へー『生ちくわ』だって、へんなのー」とか、思っていたのである。食事のときにもそれを食べながら家族と、「生のちくわって意味わからないよねぇ」などと呑気に会話をしていたというのに、食べ終わってコーヒーなどをいれて、それを飲みながら手帳を開いて記録をつけるときには、すっかり記憶から抜け落ちている。

 なんでだ。我ながら不思議というか、自分の記憶力の不確かさにガッカリしてくる。

 しかしこうして食事記録をつけることによって、手書きでものを書くという行為に対するハードルは下がり、目的は達成したのでよしとするしかない。