後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

一喜一憂したくない

 運動はしているのに、体重が減らないどころか増えていくのはなぜだろう?

 この一見不条理に思える問いの答えは、自明である。

  • 単純に運動が足りない、負荷が低い。
  • 食べているものが多い。

 シンプルな事実だ。認めるしかない。ここ数日微増しつづけた体重に危機を感じ、意図的にちょっとだけ運動を増やし、ちょっとだけ間食を減らしてみたら、体重はちょっとだけ減った。

 減ったというのに嬉しくない。正しい答えなんて知りたくなかった。

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  ダイエットのために運動を始めたわけでもないのに、それでも体重計に毎日乗っていると、ほんの数グラムでも増えたの減ったのという数値に、アホみたいに一喜一憂してしまう。そんなとき、わたしの心は本当に弱いなぁ、と嫌になる。もっとおおらかな心で生きられればよかった。

 だって美味しいものは食べたいのだ。甘いものも食べたいのだ。食べることに罪悪感やストレスなんて感じたくない。人間、心が疲れてくると娯楽を享受する気力すら失ってしまうので、そうなると生きていて楽しいのはものを食うという行為に集約しがちになる。まあ人によっては他にも色々あるだろうけれど、わたしはそうだ。そうなってしまった。

  「ならば運動量を増やせばいいのではないか?」という正論もわかっている。うん、そうなんだけどね。しかし今の運動だって、わたしなりに「これ以上負荷を増やしたらしんどいしストレスになるからやりたくない」というラインでなんとか習慣を維持しているので、そう簡単な話ではない。

 そもそも体重が微増してきたのは、今年の夏、暑くて怠くてやる気を起こすのに苦労して、運動量が減ってしまったことが原因にあるだろうという自覚もある。今より運動量を増やすとしたら、また生活習慣を根本的に変えなくてはいけなくなるだろう。それはちょっと、きついなーと思うのです。

 ならば第三の道がある。それは「体重増えても気にするな」である。精神的には、これが一番健康的なんじゃないかという気もする。メンタルをとるか、フィジカルをとるか。難しい選択だ。どちらもそう簡単に投げ捨てることはできない。バランスは大事だ。

 そんなふうにゴネゴネと考えてみたが、まあ健康問題はもっと長期的に捉えるほうがよいのだろうなと思う。この前、テレビでアルツハイマーの予防に関するものをやっていたが、「間違えてはならないのは予防に完璧というものはなく、予防に努めていても病気にはなるときはなる。病気になった人が必ずしも予防を怠っていたということにはならないし、なってしまったときにはそれを受け入れて生きることも必要」みたいなことを海外の人が言っていて「なるほどなー」と思った。

 努力は万能ではないし、わたしのやっているささやかすぎる努力に何らかの晴れがましい成果があるなどと考えるのは、驕りというものであろう。

 ……とまあ、この手の話になると、毎度同じ結論に行き着くのだが、わたしは物覚えが悪いので、これからもこうして同じことを悩み、同じ結論に至る道を行くのだろう。