後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

食べ物と記録と記憶

 ここ数日、食事を外へ食べに行こうかと思ったが、結局行かないという日が続いた。とくに食べたいものや、行きたい店があるわけではない。家に残っている食材で、何を作って食べればいいのか考えるのも疲れるからである。

 そしてしばらく悩んだ挙げ句、「でもお金かかるし」「外は寒いし」「外出のための身なりを整える気力もないし」と、これまた消極的な理由によって諦め、よっこいしょと重い腰を上げてなんとか食事を作るのだった。

 今日はたまたま家族が買ってきた鮭おにぎりとマカロニサラダと、冷凍の唐揚げを昼に食べたのだが、夕食も鮭弁当になってしまった。しかも、そこにも唐揚げが入っていた。思い返したら、昨日も唐揚げ食べてた。ちょっと食べ過ぎたかもしれない。しかし唐揚げは美味しい。

 そして皮肉なことに、飯を食べて満ち足りると「あ……外に出かける気力が復活してきたかもしれない」と感じるのである。冬だからだろうか。これが春や秋だったら、わりと調子が良くなるので、ふつうに食べに行ってると思う。そして出費が増える。

 去年はどんな感じだったかなー、と記録を見返してみると、十二月も意外に飯食いに行ってた。誕生日にはちょっと気になっていたパスタの店でランチを食べたのだが、サーモンに火が通り過ぎていてパサパサでガッカリしたんだったな、ということまで覚えていた。しかし、そういうちょっとした出費に油断した年だったので、今年はもうちょっと控えようとか考えていたんじゃなかったっけか? そうだった。

 記録を付けると、記憶の引き出しに取っ手ができるので便利だ。去年の十二月六日はサイゼリヤで、その日買ったマンガを読んで牛肉のラグーソーススパゲティーを食べたということも思い出せる。しかし、それ以外のことは思い出せない。いつ、どこで、何をして、何を食べ、何を買ったのか。こういうことは、記録があれば比較的わかりやすく記憶に残る。しかし、そのとき何を考えていたか、悩んでいたか、どんな気分だったかというようなことは、けっこうあっさりと忘れてしまう。

 わたしは物事を決断するのにとても気力が必要な人間だが、その決断が済んでしまうと、重荷が消えたやったー、とばかりに忘れやすくもなるらしい。この浮き沈みの激しさが、自分でも制御しにくくて難しいところである。

 だから毎日毎日、飽きもせず同じことを悩むのだろう。……いや、飽きてる。飽きてるんだよ本当は。