後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

スーパーに行った

 なんとなく、近所に最近できたスーパーに行った。スーパーというのは、スーパーマーケットのスーパーだ。そこでのり弁と菓子パンと今週のジャンプを買った。さすがジャンプ、スーパーの狭い雑誌コーナーでも、ちゃんと置いてあるんだなと感心した。

 しかしスーパーというのは、基本どこもそんなに代わり映えはしない。代わり映えはしないが、しかし同時に変化もしている。レジがセルフになったり、イートインコーナーができたり。

 中年なので、昔は輸入菓子コーナーなんて洒落たものなかったよな、とか、魚の生け簀とか消えたよな、とか、無料の水とか氷とかっていつ頃から普及したんだっけか? とか、ついスーパーの栄枯盛衰に思いを馳せてしまう。

 買い物に行くと、決断力のないままに店内をうろつき回ってしまう質なので、今日もぐるぐると各売り場を見てしまった。当たり前のことなのだけれど、物が、いっぱいある。物が一杯あってすごいなと思う。当たり前のようにあるのがすごいし、たまに怖くなる。

 この当たり前が、いつか崩壊するときが来るのだろうか。たまに、そんなことを心配する。2011年の震災のとき、一時的にそのような状態にはなったけど、それ以前からも漠然とそんな不安のようなものは自分の中にあったのだ。

 ただそれは本当にぼんやりとした気分のようなもので、真に迫った不安というものではない。べつにスーパーのあり方に限った話でもなく、単純に、色々と将来が不安だからなのだろう。国だとか社会だとか、そういう大きな変化の話ではなく、結局自分自身の適応力に対する絶望感が根にあって、そういう思いを抱くのだ。

 しかし、スーパーに行くと、食べ物だけでもいっぱいあってすごいのだ。弁当一つ買うのにも迷うのだ。パン類があって米類があって麺類があって惣菜があって、冷凍食品もスナックもレトルトも色々ある。これが本当に全部売れるのかな、と考えると、いや、売れないから廃棄が問題になるんだろ、とまたあまり楽しくない発想になってくる。

 のり弁には、コロッケや白身魚のフライ、鶏の唐揚げが入っていた。全部揚げ物だ。野菜が足りないので、家にあった野菜ジュースと一緒に食べた。