後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

電話が苦手

 一月も終わりである。もう二月である。二月の予定は、とくにない。

 映画に行こうかと迷っていたのだが、迷っているうちに行く気を失ってきた。気になる本もあったが、まだ読んでいない本が部屋に積んである。欲しい文具もあるのだが、使えていないものを先に使えよという気がしてくる。やろうと思っていたことに、まだ手をつけてない。計画性がないので、計画の立てようがない。それでもなんとか、やっていくしかない。

 携帯に、知らない番号から電話がかかってきた。わたしは知らない番号は無視する。すると、留守電が入った。番号をネットで検索するが、とくに業者等の情報は見当たらない。単なる間違いなのか何なのか気になって、留守電を聞いてみることにした。しかし、ごにょごにょと不明瞭な雑踏のような音しか聞こえないので、着信拒否に登録した。

 たまにこういうことはあるけれど、もともと電話が苦手なこともあり、あまり良い気持ちはしない。

 母からも電話がかかってきた。部屋の暖房を消し忘れたようなので、消しておいてくれという連絡だった。どれどれ、と確認しに行くと、暖房は消えていた。母の早とちりだった。

 電話は苦手だ。知っている相手でも、かかってくるとビクッとする。知らない相手だと、ほとんど恐怖だ。世の中にはわたしのようにとても電話が苦手な人たちも一定数いると知って、多少は気が楽になったのだが、それにしても電話対応能力というものが、人として当たり前のようになってしまったというのも、考えてみると変な話だ。だって人類の歴史から考えると、電話なんてつい最近になってようやく普及してきたようなものなのに。

 電話越しの声は、聞き取りにくい。相手が何を言っているのか、よくわからないときもある。何を考えているのか、どういう顔をしているのか、よくわからない人間の声だけが耳に直接響いてくる。みんなこの気持ち悪さに適応できているのか、すごいなと思う。

 わたしが若い頃、若者は友達と長電話をするものだというのが、ひとつの典型になっていた。携帯電話もない頃、固定電話で、あるいはその子機で、夜中に何時間も友達とおしゃべりに興じるので電話代も大変だ、みたいな風潮があった。

 わたしには、そういう経験はあまりない。かかってくれば話すのだが、自分からかけることができなかった。友達に「どうして電話してこないの?」と訊かれたことがある。どうしてそんな気軽に電話できるのだろう、と思ったけれど言えなかった。

 一人暮らしをしていたときも家に電話のない生活をしていた。携帯電話がまだ普及していなかったので、連絡手段はポケベルと公衆電話だった。そんな生活、今では無理だろうなぁ、と思う。もうポケベルがどんなものだったのかも忘れかけている。