後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

装飾の心

 今まで不定期に利用していた本と文具の店がどうやらなくなりそうなので、周辺地域の本屋と文具売ってる店というか商業施設を開拓することにした。

 しかし、これまでバス直通か一駅分の距離にあったのが、二駅三駅と離れたところまで行かなくては同規模の店を利用できなくなるのは、寂しい。いや、地方は格差でそれどころじゃないぞという人もいるだろうが。

 そんなわけで、候補地その一として、電車代にして約三百円ほど、駅にして最寄り駅から三駅ほど離れた、いつもはほぼ通り過ぎるだけの地に足を向けてみたのだった。

 先に文具関係を、ぐるぐると見る。ふとシールのコーナーを見ると、なんか凝ったのが色々とある。おもわず、目的もないのにじっくり眺めてしまった。立体的なものや、パーツを組みあわせて使うようなもの、凹凸のある箔押しのようなもの。一体「何」に使えばいいのかと考えてしまったが、そりゃあシールとして使うのなら、何に使ってもいいのである。

 シールとかマスキングテープとか付箋とか、ちまちまとした小洒落たアイテムは、見ていて楽しい。わたしには上手く使えないけど。

 手帳やノートが華やかに飾ってあるのを見るのも好きだが、自分ではできない。昔から苦手でできなかった。大学時代、知り合いの手帳がシールや色ペンで可愛らしく装飾してあるのを見ると、どうやったらそんな風に使えるのだろう、とビックリした。わたしは三色ボールペンしか使っていなかった。

 装飾に関心があり上手い人は、まず考え方というか発想が違うような気がする。道具をそのまま使うのではなく、自己流にアレンジする。わたしはシールというと、そのままベタッと貼ることしか思いつかない。しかし、センスがある人々いうのは、形を変えて切り取ってみたり、他のものとの意外な組み合わせを楽しんだりしている。試行錯誤を恐れないのだ。

 そこがまず、根本的に差があるのではないかと考えたことがある。

 わたしは失敗を恐れる。だから伸び伸びと「試す」ことができない。遊べないし楽しめない。失敗して無残なことになったら嫌だからだ。時間が無駄になったと落ち込むからだ。そして自己肯定感が低いので、物事の結果をいつも悪い方に考え予防線を張る癖がある。

 幼い頃は、そうでもなかった。そんな恐れなど抱かなかった。シールもベタベタ貼っていたし、漫画本に色鉛筆で色も塗っていた。図工の時間に、適当にこねくり回して作った粘土細工を、『ゴミ袋を頭から被った子どもの恐竜』に見立てて、良いものが作れたと満足していた。

 あの頃の自由さ、ある意味の無責任さ、結果をいちいち悩まない思考を取り戻さなければ、わたしはシールもマスキングテープも付箋も使えないのだろう。

 店で華やかなシールを眺めていたら、そんな想いが頭の隅に湧いてきたからだろうか。わたしは帰りに立ち寄った近所のダイソーで、塩化ビニール製のブックカバーと、色紙と、マスキングテープを買った。今日は文庫本も買ったし、とりあえずこれで自分なりに、ブックカバーでも装飾してみようと思う。