後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

読書の姿勢が定まらない

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 久しぶりに読書をした。

 先日買った小説、短編三つのうちの一つを読み終わっただけで「よし、読んだ!」という満足感が湧いてしまった。よくないと思った。三分の一だ。まだ半分も読み終わっていない。

 小説は面白い。ただ、集中できない。行動記録を見返してみると、三十分くらい読んでは五分程度の休憩を挟み、約二時間かかって読んでいた。これは小説や本の内容にもよるので、いつもこんなペースというわけではないのだが。

 しかも読んでいる間、わたしはじっとしていない。カフェで本を読むときはもちろんおとなしく座って読んでいるが、自分の部屋だとどうも落ち着かず、しまいには立ったり、運動のための片足立ちをしながら読んだりしている。

 近年まったく読書に集中できなくなったのは、わたしの脳のせいなのか環境のせいなのか考えてしまう。どちらも要因としては関係しているのだろう。だって。カフェだと読書ははかどるから。

 まず、椅子がよくない。たしか七千円くらいのデスクチェアを、二十年くらいは使っている。腰は大事なのでクッションはちょっと良いものだ。だがそのクッションも長く使って機能は落ちているし、快適というほどの座り心地ではない。

 そこで、ときどきベッドに移動する。ベッドだと足を伸ばせるし自由なようだが、腰が支えられなくて困る。寝転んでみたりもするが、すぐに体のどこかが痛くなってやめてしまう。

 なので、最終的にはもう本を持って立ち上がるのだ。

 去年の冬、織田作之助作品集を読んでいたときは、寒くてエアコンが不調のなか、姿勢が定まらずベッドの上をゴロゴロしながら姿勢に苦しみつつ読んだ。はっきり言って、本の内容よりも、どんな状態で読んだかの方を覚えていて、まったく実のない読書をしているなと思う。

 BGMもない。わたしの部屋の音楽再生機器は古いCDラジカセしかなく、昔はCDをかけていたりしたが、内容と合わないと逆に気が散ることもあるし、聞き終わったらディスクを入れ替えるのも面倒くさい。あとはPCに取り込んだものを聴くしかないが、読書のBGMのためだけにPCを起動する気にもなれないし、起動すれば絶対にネットをやってしまうので本末転倒だ。

 そして家の壁は薄く、家族がテレビを見ていれば、その音も響いてくる。

 カフェのソファは座り心地はよく、空調も程よく管理されているし、適度なBGMもかかっている。やはり、自分の部屋よりも色々と整っているのだ。

 不利ではあるが、それでも自分の部屋でもうちょっと安定して本を読みたいものだ。