後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

文章の構成について考えた

 起床したら左目がごろごろするので鏡を見たら、睫毛が入っていた。三本も入っていた。久々に大漁だな、と思った。こういうのが万年結膜炎の原因なんじゃないかなと思うけど、よくわからない。とりあえずコンタクトを入れる。右目がよく霞むのは何かの病気じゃないかと眼科へ行ったけどはっきりしなかったのは、結局レンズが汚れやすくなっているだけらしかった。なぜ右目だけ? と思うけど、これも考えてもわからない。レンズを装着する前に擦り洗いをすることで、多少は改善したのでよしとする。

 この前買った小説の文庫本はめでたく読み終わったので、次は雑誌を読みはじめる。雑誌、って言っていいのかな。よくわからないけど、ジャンルとしては文芸誌だと思う。今公式サイトを見てみたら、ちゃんと文芸誌と書いてあった。合ってた。

 文芸誌は、この前初めて行った本屋で、初めて見て、初めて買ったものだ。手に取って、ぱらぱら見て、なんかいい感じだなと思った勘を信じて衝動買いした。とにかくわたしは、読める本を増やしたい。本というか、小説とか活字とか、そういうものを読める脳みそを維持したい。なので、新しい刺激を求める。いや、これは後付けの理由かもしれない。わりと若い頃から、衝動的な勘任せの濫読しかできない。

 文芸誌を四分の一くらい読んで、なんかまた、カフェに行きたくなった。本を読んだら、次は考え事に集中したくなったのだ。

 考え事。「やはり文章を書くには、構成とか考えた方がいいんだろうか」という、ブログを始めてからずっとつきまとっている、ぼんやりした悩み。

 そこで、以前にも読んだ『新しい文章力の教室』とメモ帳を持って、カフェに行く。ちなみにこの本は、去年の一月、本屋で他の文章指南系の本と比べながら、けっこう悩んで買った。読んだときは、「ほうほう、なるほど。わかりやすくていい本だなぁ」と思ったのに、まったく実践はできていない。「構造メモ」の書き方とか、これだけ具体的に実例も示されているのに、実際にできないのはわたしの何が悪いんだろうな、と考えていた。

 それはわたしが怠惰なダメ人間だからだよ、と卑下するのは簡単ではあるが、卑下してしまうとそこから物事は前に進まなくなるので、ここはどんなに馬鹿らしくても「うーん、なんでできないのかなー」と真面目に考えてやるしかないのだ。それをわたしのためにしてくれるのは、わたしだけだから。頼りないけど。

 で、コーヒー飲みながらフレンチトーストをつつきつつ読み直して、「あー、だからコレは、何かを伝えたいという目的が先にあるという前提なのでは?」と、考えた。

 この本でいう「主眼」「骨子」もない、衝動的な文章。書きながらグルグルと、定まっていない道を迷うようにしながら書く文章。そういう文章しか、わたしは書いてこなかったので、この本で説明されているようなやり方が、できる気がしない。

 この前アウトライナーでの思考・情報整理をできなかったのと同じ問題が、立ち塞がっている。まずね『②箇条書きで、書こうとする話題を列挙していきます。』ができないよね。書こうとする話題、書き出さないとまったく見えてこないからね。

 ――書く前に、書こうとすることを、書き出す。

 考えてみたら、これは矛盾ではないのか? 何を書きたいのか書くべきなのかがわからないから「とにかく何でもいいから書く」という方式を、わたしは採用しているのだ。

 そして『④どの話題から切り出していくべきか、主眼に準じるよう吟味し、項目の左横に順番を数字で書き込んでいきます。』も、ちょっと自分にはできるか怪しい。優先順位をつける、重要度を決定するというのは、わたしのとても苦手とする行為だ。

 なるほど。問題が明確になるほどに、暗い気持ちになってきた。

 

 そういうわけで、この文章も衝動的に書いたことがよくわかる行き当たりばったりな構成になっている。時間にして二時間くらいかけ、色々削ったり内容を変更した結果だ。これこそ今回の主眼を文章であらわしていると言ってもいいのではないだろうか。

 もちろん悪い意味で。