後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

猫の思い出

今週のお題「ねこ」

 猫はかわいい。猫を見るのは好きだ。道を歩いているときに猫がいると、つい足を止めたり、目で追ったりしてしまうくらいには。

 しかし、猫を飼う気にはならない。子どものころはまだ浅はかだったので、衝動的に犬や猫を飼いたい飼いたいと言っていたこともあった。単純に、もふもふして愛らしい無垢な生き物だと思っていた。もちろん、そんな時期は長くは続かない。続かなくてよかった。生き物を飼うということは、とても大変なことだ。わたしには向いていない。

 わたしは猫を飼ったことはないが、友人は飼っていた。そこで猫に触れたこともあるし、泊まると夜にお腹の上に乗っかってくる、その重みと温かさに魅力を感じたことも否定できない。

 だが猫は家のあちこちで爪を研ぐし、毛は抜けるし、トイレのしつけや始末も大変そうだなという現実も見えてきた。餌のことだって考えなくてはならないし、病気になったり怪我をしたりすることもある。当たり前のことなのだが、子どもにはそれらの大変さに実感が伴わない。そりゃ親は反対するな、と後になって理解する。親は正しかった。

 なので、今のわたしにとっては、猫は遠くから眺めるだけの生き物だ。

 父は、とても猫を嫌っていた。猫というか、我が家の敷地内に入ってきて、糞尿をしていく野良猫だが。発情期になると夜中でもうるさく鳴いて、子猫を産んでたこともあったらしい。こういうのは、困る。

 野良猫という存在も、ただ遠くから眺めていればよいだけの存在ではなかった。犬だろうが猫だろうが鳥だろうが、生物すべてを含めて環境というものが存在している。

 昔のことだが、わたしは一時期、暖かい季節になってくると、ノミに刺されることに苦しんでいた。ノミに刺されると、猛烈に痒い。蚊に刺されるのとは比ではない痒みと腫れがしばらく続き、しかも痕がのこる。なぜか、家族のなかでもわたしだけが集中して刺されて、春先になると憂鬱になった。その原因は、家の敷地内に入ってきた野良猫なのである。

 猫に罪はない。とはいえ、招いてもいないのに勝手に入ってきて、ノミというありがたくない置き土産をのこしていく野良猫に対して、恨みがましい気持ちが欠片もないとは言えなかった。なので、車のホイールに猫に小便をひっかけられて、「ぶっ殺してやる」と一時的に激昂した父の心情も汲めなくはない。いや、殺すのはダメだろと思ったし、父も口で言っているだけで、常識的な範囲で猫避けの工夫をしていただけなのだが。

 しばらくわたしは、猫を飼ってもいないのに、猫のノミ対策にについて真剣に思いを馳せていた。カーペットの上にちらりと見えた黒点が、ノミかもしれないと思うと血圧を上げる勢いで殺虫剤を撒き、弱ったところを指先でつまみ、逃さないように気をつけながらセロハンテープに貼り付け、その上から潰して始末した。(その方法は、猫漫画で知っていた)ノミに刺されたことのない家族は、それを冷ややかな目で見ていたのも悲しかった。

 あんな思いはもう懲り懲りだし、やはりわたしは生き物を飼うことはしない方がいい。