後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

ゲーム攻略が下手

 もしかして自分はゲーム攻略が下手なんじゃなかろうか、と気づいたのはいつからだったろう。反射神経が必要と思われるアクションやシューティングなどは、最初から苦手意識もあったが、かといってRPGやシミュレーションといった類の攻略も効率的だった試しはないし、考えてみるとアドベンチャー系のやつもわりと無駄な作業に時間を費やしていた気がするのだ。

 昔々その昔は、ゲーム攻略といったら自力が基本で、どうしても行き詰まったときに攻略本というものを買ったのだ。しかし、当時は突貫編集だったのか、値段が高いわりに誤情報が多かった。時代だなぁ。

 他人のプレイスタイルと比較すること自体が少なく、ゲーム友達もそれほどいなかったので、わたしはゲームに対する情報収集や、やりこみ熱というものは薄かった。自分一人で、コツコツダラダラ、マイペースに遊んでいた。それは今でも変わらない。

 しかしネットができて、たまに攻略情報サイトなどを覗くようになってから「あれ……もしかして、自分のプレイ、無駄が多すぎ?」と気づいてしまった。

 とあるゲームなんか、やたらキャラとの交流によるフラグが複雑なのに、攻略本も攻略サイトも頼らずに、ちまちまと遊んでいたので、メインキャラがまったく仲間になってくれず好感度も上がらないまま何十時間もかけてクリアしてしまい、とても寂しいエンディングを見る羽目になった。

 さすがに納得できないものを感じた。それはそのタイトルがたまたまそういうシステムだったというだけなのだが、自分一人で自由に遊ぶことができず、用意されている「正解」を選ばなければ、絶対に満足できるようなエンディングに到達することができないなんて、虚しすぎる。戦闘やレベル上げをもう一度最初からくり返して、そのゲームをやり直す気にはなれなかった。(ノベルゲーム等はエンディングの多様性そのものを楽しむものだし、スキップできるのでいいのだが)

 つまりそこらへんから、ゲームは一人で向き合うものではなく、情報を共有する流れになっているのだと、わたしはようやく理解しはじめた。

 わたしはどうして攻略情報を見たがらなかったのだろう。ネタバレが嫌だったということもあるし、自力でクリアしないとやり甲斐がないと感じていたところもあった。それと同時に、なんか、自分と同じゲームをしている他人の意見やスタイルを目にして、影響されるのが嫌だったのだ。

 性格的な問題だ。わたしは内向的なので、他人の圧というものがとても苦手だ。たとえ善意からであっても、「ああすればいい、こうすればいい」と言われるのも苦手である。(あれこれ口出ししてきて、勝手に不機嫌になるタイプが身近にいたから余計に警戒する)自分の考えや感じたことに、踏み込まれるのが好きではない。なので、なるべく一人で事を済ませたがる。

 それがわたしの欠点であり、色々と物事を非効率に、学びにくくしている元凶なのだろう。と、今日もソシャゲを進め、強化の先の長さに気が遠くなりつつ考えたのだった。まったく、ゲームはいつもわたし自身というものを教えてくれる鏡のようだ。