後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

七段飾りの憂い

今週のお題「ひな祭り」

 ひな祭りといえば、ひな人形。お内裏様にお雛様、三人官女に五人囃子、右近の橘に左近の櫻――という具合に、我が家にもあったのです、七段飾りという大層なやつが。

 段は金属製の重くて大きいもので、組み立ても一人ではできない。ひな祭りが近くなると、家族で組み立てていた。人形も一体一体保護用の紙に包まれているので、それを丁寧に外し、説明書を眺め、それぞれの小道具を持たせたりして台の定位置に座らせた。菱餅にひなあられも飾り、ぼんぼりも点けた。なかなか本格的だったのだ。

 七段飾りが完成すると、さすがに見栄えはするというか迫力はあり、一仕事終えた達成感もあった。それほど広くはないスペースに、わりと強引にセットした感はあったけれど、なかなか立派なものだった。

 そうして飾って眺めて「ひな祭りだねぇ」で済めば、我が家のひな祭りは平和でよい思い出になったのだろう。父のイベント好きというか、季節行事、家族行事というものに対する思い入れさえなければ。

 とくに苦痛だったのは、写真撮影だ。子どもの頃、父はそうした行事のときに仰々しく写真を撮りたがった。わたしたちは撮影のためにわざわざ着替え、父に人格を否定されるような文句を色々言われながら笑顔をつくり、その時間を耐えた。父は自分の思い通りにならないとすぐに怒り不機嫌になる人で、その感情の振り幅に、わたしは戦々恐々としていた。なにしろ、当人は良かれと思って「俺がこんなにしてやっているのに」という態度なので、話は通じない。ましてや幼い頃は、対処のしようもなく、その怒りや不機嫌を察しただけでぐったりと疲れてしまう。

 ひな人形を飾るのも眺めるのも、それなりに好きではあった。家族でちらし寿司を食べるのも。しかし、父の行事やイベント事に対する執着というか、「このようにあらねばならない」という拘りと理想に付き合わされることだけは苦痛で苦痛で、それは結局、わたしたちは理解しあえないまま終わった。

 大人になってからは、そのひな人形には手を付けていない。飾りもせず、物置にしまいっぱなしだ。もう我が家に飾ることもないだろうし、どのように処分すればいいのかと母と話したこともあるが、決まってはいない。