後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

花を見に行くかどうかは決めていない

 せっかく心待ちにしていた春が近づきつつあるというのに、毎日毎日ソシャゲばかりしている。それを反省しているのかというと、そういうわけでもない。

 二年以上も無計画に遊んできたので、回復アイテムが溜まりまくっている。キャンペーンで消費APが半分になっている今、これらのアイテムと時間を費やして、どれだけ強化できるかチャレンジするぞ、というモードになってしまった。

 反省はあるが、まあ、楽しい。

 それに、暖かくなってきたら、またどこかに出かけようかとは思っていたが、とくに目当てや目的があるわけでもないのだ。強い動機付けが、それほどない。桜が咲いたら、ちょっと花を見に行こうか、くらいの感覚はある。

 でも、見なければ見ないで、べつに何も困らないし、むしろ「春は桜を見なければならない」という圧力が苦痛だった数年間もある。あの頃は、テレビで桜の開花情報を見るだけで、ちょっと暗い気分になったものだ。今はなんとも思わない。苦痛でもないが、特別に楽しみなわけでもなく、ただ、ちょっと楽しみなふりをして話をあわせた方が、会話は楽である。

 季節の移り変わりや、天気の話は、食卓でも便利に使える。当たり障りがない程度に、話の方向をずらすのにも効果的だ。テレビやネットで、そういう、ちょっとしたときに場の空気をフラットにするための話題を、わたしは無意識に探していることがある。

 べつに当たり障りのない話ばかりをしたいわけでもないのだが、コミュニケーションに失敗して空気が悪くなり、居たたまれない思いをするのは避けたいという心理があるわけで。それは、つい言わなくてもいいことを言ってしまい「失敗したなー」と反省する数多の経験からきている。にもかかわらず、それでもやっぱり言わなくてもいいことを、言いたくなってしまうときはあるのだ。

 そんな自分の気持ちを静めるためにも、毒にも薬にもならない、平和な会話を増やしておきたい。でないと、精神が保たない。

 花見も桜の話題も、もともとそういうツールなんじゃないかと思うくらいだ。

 日本人は桜を好きだというし、まあ好きな人も多いんだろうけど、花そのものが好きというよりは、やはり定番のイベントに同調するのが好きで、それに参加すると安心するのではないかと思ってしまう。だから、気持ちが沈んで、皆と同じイベントを楽しめない状態になっていると、この季節の桜はつらいのだ。

  今年のわたしは、それほどつらくはないので、どこかに見に行ってもいいかなと考えているのだが、たぶんまた近所の公園をちょっと歩くぐらいで満足しそうだ。