後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

お花見

今週のお題「お花見」

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 今年はまだ花見に行ってないので、これは昔の写真だ。携帯に保存しただけでそのままだったので、思い出して引っぱってきた。フォルダを見ると、2012年4月9日となっていた。六年前の桜ということになる。

 たしかこれは、自転車でひとりでふらふらと桜並木を見に行ったときのものだ。

 この写真を撮ったとき、新しい携帯にしてから八ヶ月は経っていたが、カメラ機能をまったく使っていなかった。しかし、使わないのも無駄だし、せっかく桜も咲いているしと、試しに撮ってみることにした。そんなわけで、今も使っているその携帯で撮った、一番最初の写真でもある。

 当時は「おー、けっこういい感じに撮れたんじゃない?」と思ったのだが、そのときだけで、以後あまり写真を撮ることもなくなった。結局、携帯のカメラ機能の使い方が、よくわからないままだ。この桜の写真と、最近のブログ用に撮った写真と、どうやらサイズがかなり違う。なぜそうなったのか、自分で設定を変えて覚えていないのかもしれないが、思い出せなかった。

 子どもの頃は家族で、桜並木のある公園で花見をした。近年はあまりその公園で花見をしている人を見ないのだが、昔はとても賑やかだった。

 あちこちにレジャーシートが敷かれ、人で溢れていた。大人たちは昼間からお酒を飲んで、大きなカラオケの機械まで持ってきて歌う声が響いていた。母の作ってくれたお弁当も美味しく、お祭みたいで楽しいなぁと思った。

 家族行事が好きでなかった自分にしては、お花見には嫌な記憶がない。場所が家からそれほど離れていないので、乗り物酔いもしないし疲れず、父が不機嫌になることもなかったからだろう。

 大人になってからは、花見といえば一人で気儘に桜のある場所を散歩する、くらいの意味になった。集団での花見というのは、よく知らない。学生のときに、友人数人と浅草に遊びに行ったら、ちょうど桜の盛りでとても見応えがあった、という記憶はあるのだが、たしかそのときの目当ては桜ではなかった。

 まあ公園や名所でなくとも、ちょっと歩いて学校でもあれば、だいたい桜が目に入るものだ。通りすがりに眺めるのも、花見といえば花見である。今はそんな感じの、カジュアルな花見で充分なんじゃないかなという気がしている。