後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

四月になってしまった

 とうとう三月も終わり、四月に入ってしまった。しかも明日は甥っ子が遊びに来るらしく、色々とつらい。気候も、寒かったり暑かったり、例年並みになったりと落ち着かないし、気持ちも落ち着かない。

 なんとなくそんな予感はしていたが、去年に買っておいた新しい手帳も、結局使ってないままだ。買ったときの値段は八百円ほどしたのに、二月に入ったら三百円均一ショップに並んでいて、ショックだったことも影響しているだろうか。手帳とは、自己管理とは一体何なのだろう。

 手帳を使えないのは、使い方を自分で決められないからだ。用途を決めても、書式が決められないのだ。ノートが使えない原因も、そこにある。それが分かっているから、わざわざ書式の限定された手帳を選んだはずなのだが。

 読みかけの本を読む気力も集中力も、なかなか戻らない。カフェへ行って読んでいたときも、内容が全然頭に入ってこない。文章との相性が悪いのかもしれない。けっこう評判で売れている本らしいのだが、読んでいると「そんな小難しい言葉は使わずに、もっと簡潔に書いてくれ」とイライラしてしまい、よくない。べつに意味がわからないほど難しすぎる文でもないのだが、語彙くらいもう少し平易にしてくれてもいいだろうに、と泣き言をいいたくなる。

 運動もさぼりがちだ。動かなくても体が冷えなくなってきたし、運動してもしなくても、あまり自分に変化がみられない状態なので、これまたやる気が出ない。

 毎日付けている行動記録を、パソコンで表にする作業も一ヶ月以上溜めている。不定期にしている作業なのだが、最近その意義を自分で疑いはじめている。表にして、一ヶ月くらいの記録をまとめて可視化できれば、自己管理の意識も変わるかもしれないと思ったけれど、そんなことはなかった。ただ表を作る作業そのものが目的になってしまうくらいなら、初めからその作業自体が間違っているということになる。

 記録してもダメ。表にしてもダメ。だったら何をすれば、少しはマシになるのだろうか。また別の方法を模索してみるべきか、それとも根本的に発想が間違っているのか。いつもの、出口のない迷路をひたすらグルグルしているような気持ちに陥ってくる。

 そんなときは、気分を変えるためにどこかへ出かけよう、などと能動的に思えればいいのだが、最近はそんな好奇心も意欲も死んでいる状態だ。いや、意欲も興味もないときこそ、意欲や興味を復活させるために、どこかへ行かなくてはいけない状態なのだが。

 どこかへ行かなければ、という焦りはあるが、肝心のどこに行きたい、という動機がない。いや、正確には、べつにどこにも行きたくない。ただ、ここにいたくないだけだ、ということなのかもしれない。