後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

運動の間見たいものがない

 最近、ようやく習慣化したと思った運動をサボりがちなので、自己肯定感が下がりつつある。これで体重が目に見えて増えたとか、わかりやすい変化があると危機感もわくのだが、とくに体調にも体重にも、変化はない。

 変化がないと、今までやっていたこともあまり効果はなかったのかな? と思ってしまいがちになるが、それは違うと、今のわたしは知っている。

 毎日やっていた運動を、毎日はやらなくなったというだけなので、運動自体は少ないながらもしているし、以前は連続で十回こなすのも苦しく姿勢も定まらなかったスクワットが、なんとか連続二十回くらいはできるようにはなってきている。片足で立つのも、最初は三十秒でもグラグラしていたのが、今では一分くらいは楽にできる。

 べつに痩せはしないし、健康になった実感もないけれど、できなかったことができるようになったという事実は、単純に嬉しいものだ。

 そうして「何分、何回」とわかりやすく達成感の得られるものは、再開もたやすいのだ。難しいのは、もっと単調で時間のかかる運動である。具体的にいうと、踏み台昇降運動である。

 この運動は、台さえ適当に自作したり買ったりすれば、始めるハードルはとても低い。ちなみにわたしは、古い週刊少年ジャンプを百均のガムテープで巻いたものを台にしている。(この安上がりな台の良いところは、ガムテープがフローリングの床に対して滑り止めになってくれるし、雑誌なので程よく柔らかく、足に対する衝撃が少ないというところだ)

 部屋に必要なスペースも少ない。エアコンの効いた部屋で、雨の日だろうと夜中だろうと、テレビを見ながらでもできる。とりあえず体を動かす習慣をつけたい初心者向けで、気軽な運動である。

 しかし、この運動は単調である。わたしは単調なことは得意だし、苦ではないと思っていた。だから二年もほぼ休まず続けられたのだろう。それでも最近、この単調な運動をしている間に、気を紛らわすためにつけているテレビが、だいたいいつも面白くない、ということに苦痛を感じはじめている。

 以前は録画したアニメなどを見ていたが、録画用のHDDはもう満杯に近いし、よほど好きな作品でなければ繰り返し見たい質でもなかったし、その好きな作品も見すぎて飽きることは避けたいので、つまり、見られるものがないのだった。

 とてもバカバカしい理由のように思えるが、人間のやる気とかモチベーションとかは、そうした些細な環境の問題が大きいものだ。どうせ単調で汗だくになることをするのなら、その時間は少しでも楽しく過ごしたい。でないと、持続することは難しい。