後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

風呂を洗う

 風呂洗いはわたしの担当なのだが、洗うときには洗剤を使用している。風呂洗いという作業も、我が家をリフォームする前から何十年と日常的にこなしていたわけだが、昔は洗剤を使っていなかった。いつから使い始めるようになったのかと、ふと考えた。

 昔は、柄の付いたブラシで擦って、水だかお湯だかで流していただけだった。リフォーム前は浴槽の材質が違っていたので、それで済んでいたのである。深くて、わりと大きめな風呂だった。子どもだったわたしが洗うには、柄の付いたブラシでないと無理だっただろう。

 だがリフォーム後の風呂は、材質的に水垢などが付着しやすいのか、ただ擦っただけではザラザラが残っていることが多い。なので、洗うときは必ず洗剤を使うようになった。

 この「浴槽にザラザラが残りやすい」せいで、それまでは手の空いている者が適当に風呂掃除をしていたのに、わたしが風呂掃除担当になってしまったのだ。このザラザラが気になって、一度身内が洗っていたらしい浴槽をその後洗い直したら、それを知った身内がぶち切れ、「もう洗わない!」とか言い出したのだ。

「いや、あのさ……お前はわたしが畳んだ洗濯物を、わたしの見ている目の前で『汚い! 汚い!』とか言いながら、自分のものじゃない洗濯物までぜんぶ畳み直してたよな? 自分のやった仕事を他人に否定されるのはそんなに気に入らないのに、なんで同じことを他人にする?」

 と思ったし、そう訴えたけれど、そのときの身内は激昂していて話にならなかった。まあ、その頃の身内は情緒不安定で、洗濯物は外の埃だかなんだかが付いていて汚いので、わたしの畳み方が気に入らないわけではないとか言っていたが、だからといって「汚い」だの「死ね」だのを目の前で一日何回も連呼される身になってくれ……自分としては責任を持って、一枚一枚丁寧に畳んだつもりの洗濯物を、目のまで荒々しく「汚い」と罵られてバサバサとやられる気持ちを想像してくれ……と、あのときは本当につらかった。

 たぶん、こういう恨みは一生引きずるのだろうと思う。そして、身内もわたしに自分が洗った後の風呂を洗われたことを、恨んでいるのだろう。しかしわたしは、汚いと文句をつけたりはしなかった。ただ、触ってみたら汚れが残っていたから、黙ってそれを洗っただけなのだ。身内にも色々あるとしても、納得はしない。

 そして今では、浴槽に身をかがめながら、手にしたスポンジでゴシゴシと擦って風呂を洗う日々である。本当は柄の付いたブラシの方が洗いやすいのだが、気がつくと、近所の店に柄の付いた風呂用掃除ブラシというものを売らなくなっていた。そして、柄の付いた掃除ブラシは、大きくてかさばるし、使ってみないと使い勝手がよくわからないこともあり、今ではなんとなくスポンジを使い続けている。

 しかし正直、これでゴシゴシやっていると右手が痛む。毎日毎日同じ動きで力をかけているからだろう。だが、新しいブラシを導入することによって、また身内のよくわからない不機嫌のスイッチを押すことは精神衛生上避けたいので、今日も明日もスポンジでゴシゴシと風呂を擦るのだ。