後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

何がきても驚かない

 何もしていない日々を過ごしていると、とくに書ける話が生じなくて、困る。日々生きてはいるのだから、それなりに起こっていることも感じたこともあるのだが、文章にするほどのことではなかったり、上手くまとめられる自信がなかったりして書けないのだ。

 気になったことと言えば、運動をさぼっているのに運動していたときより体重が減っていることとか、銀英伝の新アニメが始まったというのにさっそく二話目を見逃したとか、しかもそれがどうやらヤンの回だったとか、中学生の自分だったらどうなってしまうだろうかと考えた。

 歳をとるというのは、こうも感度が鈍磨してしまうものなのか。いや、しかしこの歳になったらもう落ち着いていないと完全に恥ずかしいし、中学生と同じ感度でもそれはそれで困るのだが。

 そう、わたしは中学生の頃に銀英伝を読み、そしてヤンが好きだった。それを知っていた友人が、わたしへの誕生日プレゼントに、アニメイトで買ってきたブロマイドをくれたくらいだ。あれはちょっと、恥ずかしかった。キャラは好きでも、あまりグッズを欲しいとは思わないタイプのオタクだったのだ。しかし、その気持ちは嬉しかった。

 おもわずそんなことを思い出してしまったじゃないか。どうしてくれるんだ、銀英伝。親の前で最初のOVAを見ていたら、ラインハルトのお姉さんが皇帝の妾にされるというとこで、ちょっと気まずい空気になったりしたことまで思い出してきた。記憶というものは厄介だ。どうしてそんなどうでもいいことは何十年経っても覚えているんだろうか。肝心なことは忘れるのに。

 ちなみに、ノベルズも未だに家にある。部屋を片づけたときにチラ見したら、あまりに字が小さく詰まっていて「これ……中学生のときに読んでたのか自分、よく読めたな……もしかして今より頭よかったんじゃないのか」と、錯覚しそうになった。もちろん頭がよかったわけではないが、読書がその当時の自分にとってメインの娯楽だっただけなのだ。まともに読めていたかどうかは疑わしい。

 だいたい、読みはじめたきっかけだって、当時のオタク界隈の流行についていきたいからという、中学生らしい軽薄な理由だった。しかし、それで小説だろうとマンガだろうと映画だろうとガツガツ消費していたあの頃は、やはり気力というか勢いがちがった。

 今はもう、流行りものを横目に見ても「あー、なんか流行ってるんだなぁ」という程度の感想しかない。気が焦らない。大人になったというより、好奇心が枯れている。しかし、完全に興味を失うということもできない。ネットがあるからだ。

 しかも昨今、中高年向けの再アニメ化やアニメ化が流行っている。バナナフィッシュまでアニメになるという時代だ。もう何がきても驚かない。いや、日出処の天子クラスがきたら、ちょっと驚くかもしれない。