後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

二日連続スパゲティー

 昨日の昼食は、一昨日の夕食の残りをアレンジしたスパゲティーだったが、今日もスパゲティーだった。納豆とツナをマヨネーズで和え、黒胡椒をふったものである。二日連続で手間のかからないスパゲティー。そう、もう昼食に手をかける気力がない。外に買いに行くのすら億劫だという状態になっている。

 母は映画を見に行っていた。とても混んでいたらしい。世間はゴールデンウィークなのだ。憂鬱である。こんな季候のよい時期に、わたしは悪夢を見て目を覚ました。追われて逃げて、首を絞められ殺される夢だ。首を絞められたショックで、ガクンと体が反応して意識を取り戻した。そこから二度寝して見た夢も、わりとしょうもない悪夢だった。きっと、昨日ネットで見てしまった話題がよくなかったのだ。生きていても、人間不信になることばかりだ。

 もうそうなると、断然ゲームくらいしかする気はしなくなった。荒んだ世の中のことは、なるべくシャットアウトしたい気分になる。とくに期待はしていなかったはずなのに、現実は底を打つということをやめない。ある意味、現実ってすげーなと思う。

 まあ、わたしの見ている現実と、他人の見ている現実とは、そもそも別のものなのだ。これは断絶していて、混じり合うことはない。わたしがどんな悪夢を見ようと、わたし意外の人間には一切関係がないのと同じである。「現世は夢、夜の夢こそまこと」という有名な言葉があるが、わたしの場合、夢にもあまり救いがない。昔はもう少し楽観的というか、自分の都合のいい願望が叶う夢なども見ていたはずなのだが、歳をとる毎に憂鬱な夢ばかり見ている。

 せめて楽しいフィクションがその逃避先として機能していれば救いもあるのだが、最近は色々な事情でめっきりである。まず、自分が楽しい面白いと思えるものに出会うまでに、けっこうコストがかかる。そして出会えて楽しんだとしても、必ずといっていいほど結局はその作品周辺の、世知辛い現実にぶつかって精神的ダメージを食らう。

 なんかもう、そういうのの繰り返しで疲れた。

 ソシャゲの周回作業が、さほど苦でもなく、むしろ楽しく感じてしまうのは、その没入性にあるのだろう。もはや娯楽は、そんなに楽しかったり感動したり面白かったりしなくてもいい。嫌なことを確実に忘れさせてくれるだけでも、救われる。(そういう精神状態が、色々なものへの依存のきっかけとなるのだな)

 こういうときは、とりあえず気力の回復を待つしかない。まあ、そういうサイクルを何度も何度も繰り返して生きているわけです。