自分のメカニズムがわからない
毎日体重計に乗って、体重を量り記録をつけているるわけだが、その増減のメカニズムが、未だによくわからない。
一般的なイメージだと、運動をしたり食事を減らせば体重も減り、運動をせず食事が増えれば体重も増えるはずなのだ。大雑把な認識ではあるが、それほど間違ってはいないだろう。
しかし、最近は運動をしなくなってきているのに、体重は減っている。考えられるのは、運動量は減ったが間食の量も減っているので、体重が減った。もしくは、運動をしないがために筋肉が減って、体重も減った。そんなところだろうか。
実際、久々に腕立てやスクワットをやると、以前よりも少ない回数で翌日は筋肉痛になっている。そういえば、親族が長期入院したとき、退院したときにはすっかり体力が落ちていて大変だったと言っていた。筋肉をつけるのはあれほど疲れて時間もかかるのに、何もしないと落ちる一方なのだ。怖い。
そもそも運動を始めたのは、そうした健康への不安からであって、体重はただ体調を客観視するために記録し始めただけなのに。それでも、毎日微妙な数値が増えたり減ったりしていると、なぜそうなるのかということに、納得できる理由が欲しくなってくる。
体重が減ったときの一番わかりやすい理由は、腹が下ったときだ。あまりきれいな話ではないが、わたしは脂っこいものを食べると、わりと頻繁に腹を下す。そんな日に体重計に乗ると、必ず体重は減っているので、それは「ああ、やっぱりな」と納得できる。
しかし、体重、食事、運動。一日何をしたのかの行動記録。これを毎日つけていれば、自分自身の色々と無自覚なサイクルも客観視できるかもしれないと期待して始めたのだが、これがなかなか難しい。
気分の浮き沈みなどは、その日の出来事のせいかもしれないし、気候のせいかもしれない。何か栄養が足りてないのかもしれないし、運動不足なのかもしれない。食事を取って腹が苦しく感じるのは、量を食べたからかもしれないし、胃腸の調子がよくないから重く感じるのかもしれない。そしてその原因は、精神的なものなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
物事の因果関係というものは、あらゆる可能性が絡みあっていて複雑だ。わたしはわたしの心身のことですら、その原因を断言はできない。すべては主観的な仮説になる。
じゃあ病院にでも行って、専門の医師に診断してもらえれば不調の原因がわかるのかというと、そうでもない。とくに忙しく、流れ作業的に診察しているところだと、意思の疎通をはかるというだけでも不可能に近い。病院通いは、コミュニケーションの地獄だ。
世の中に、心身に良いとされる健康の話は溢れているのに、そのどれが自分に適しているのか、必要なのかを判断するのは、難しい。何でも試せるような好奇心や体力があればいいのかもしれないが、新しいことを始めても、それがどのような結果を導くのかは保証されない。
そういえば昨日ツイッターで、「トイレの後に水を飲むと痩せやすくなると聞いたので、それを実践してウォーキングもしていたら体重が落ち、コーラを飲む習慣もなくなった(要約)」というようなツイートが拡散されており、それに対して「痩せたのは水を飲むようになったからではなく、コーラを飲まなくなったからだろう」というツッコミがあり、一瞬クスッとしたあとに、「いや、しかし、あれ?」と考えてしまった。
この場合の因果関係は、どう読み解くのが正しいのだろうか。
たしかに、コーラを飲むのを止められれば、痩せるかもしれない。しかし、そのきっかけを作ったのは「水を飲むと痩せやすくなる」というアドバイスであることは間違いない。水をコーラの代わりに飲むようになったから、コーラを止めることができたのだ。それに、「ウォーキング」という要素も無視できない。そもそもウォーキングをしていなかったら、コーラを止めても痩せたのか。コーラを止められたことと、ウォーキングを始めたことには関係があるのか。
水を飲む、ウォーキングをする、コーラを止める。この三つの要素は当人にとっては絡みあっており、切り離せない要素だったのではないか。
そんなことを考えてしまった。