後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

「わたし」と「わたしたち」

 「自虐」とは何なのだろうか……。最近、そんなことを無駄に考えていた。

 無駄に、というのは、考えたところで明快な答えなど出ないし、そのきっかけとなった話題からズレている疑問であることも、わかっているからだ。

 しかしわたしは、気になってしまう。気になってしまったのである。

 まあ話題とは、炎上した某広告の、あの絵である。企業は一体何を考えていたのだ、あんなん炎上するに決まってるじゃないか、と話題になったアレである。わたし程度の狭い観測範囲でも、様々な意見や憶測を目にすることができた。

 曰く、「あれは二十年前にウケたネタ、企業内の中年の、古臭い感覚をそのまま引きずっている」

 曰く、「あれは三年前のツイッターならウケた、今はもう潮目が変わったことを理解していなかった」

 曰く、「あれは最初から炎上目的、真の客層にならウケると判断した」

 曰く、「あれは内輪の自虐ネタ、それを外に向けて広告として出してしまったのがわかってなかった」

 曰く、「あれは同族嫌悪、共感することで、自分は無自覚なあいつとは違う、ちゃんと弁えてると思える」

 曰く、「あれは他者を指差して嘲笑するのが好きな層へ向けたもの」

 曰く、「あれくらいのネタ、ツイッターでも普通に見る」

 曰く、「あれはツイッター外のSNSなら普通にウケていた」

 はあ、いや、なるほど。人によってこうも、ものの見方というか解釈は変わるのか、と思った。

 ちなみにわたしの見方は、「本気で親しみや共感を得られると思ってたんじゃないかな……好き嫌いは激しく分かれる作風だけど、支持層のみを見て判断して、反感を買う可能性は頭から抜けていただけで……」だった。個人的にはあの手の作風は昔から苦手だし、目に入れるのはなるべく避けたい。

 

 ところで、わたしはこれらの意見の中の「自虐ネタ」説というのが、最初はまったく理解できなかった。

『え? だって自虐って、「自」虐でしょ? 自分自身を俎上に載せて、卑下したり嗤ったりしてみせるのが「自虐ネタ」でしょ? パターンを複数用意して、同時に指差してたらそれはもう「自虐」ではないんじゃない?』と。

 どうも、わたしの考えていた「自虐」と、他人の考えている「自虐」の概念にズレがあるらしい、と感じた。そして考えた。もしかして、「わたし」と「わたしたち」を同じものとして捉えている人たちが存在する?

 それはわたしには、あまりない発想だった。たとえ家族であろうと、同性だろうと、同じ趣味嗜好だろうと、同じ地域出身だろうと、他人は他人であって「わたしたち」は「わたし」じゃない。たまに連帯したり、共感したり、帰属意識を感じることはあっても、基本的にそれぞれ別個の人間であり、「わたし」を卑下することは自虐かもしれないが、それを「わたしたち」にまで応用してしまったら、たちまち「一緒にするな!」と激怒されるのが当然だと思っていた。

 しかし、卑下を集団・仲間内の符号として共有し、連帯を高める。そうして共有された価値観を全体の「自虐」とするとはどういうことか……と考え、ああ、昔のフィクションで不良の集団なんかが、「どうせ自分たちは親にも教師にも見離されたクズなんだよ」みたいに語っていたアレに近いのかな、と思うと腑に落ちた。我が母校が、教師含めて「どうせ県内学力最底辺だからな」と、嗤いとばすことで劣等感を共有し、一種の慰めとしていたアレである。なるほど、それならちょっと理解できる。

 にしても、あれらの「自虐」表現の指しているものが、一切の逃げ場を許さないとばかりにバラエティーに富んでいたのはどういうことなのだろう、とまた引っかかってしまった。

 あそこまで色々なタイプに言及して、はたしてそれは、同一属性の、内輪のコミュニティー内の自省自虐と呼べるのか? やっぱり、多少は外部や他者にも向けられているものではないのか? と新たな疑問に変わる。「内輪の価値観」とは、一体どこまでが内輪なのだろう。

 どこまでが「わたし」で、どこまでが「わたしたち」なのか。これもまた人によって認識が異なるのだろう。「わたしたち」をどこまでも拡大させていくと、年代とか、地域全体とか(○○県民みたいな)、国とか、地球人とか、タラコが好きな人とかチョコが嫌いな人とか、犬派だとか猫派だとか、際限なく大きくなったり細かくなったり分断されていく。そして知らないあいだに、「わたし」も誰かの「わたしたち」に組み込まれて、「自虐」されたりしているのだ。

 ……なんてこったい。

 しかし人間は社会集団の中で生きている存在なわけで、自分が自動的になにがしかの「わたしたち」に組み入れられることを、「そんなの関係ない」とすべてはね除けることも難しい。それはそれで無責任になってしまう場合もあるし、集団に帰属することのメリットからも弾かれてしまう。

 

 そこまでグダグダと考えてたら疲れてきたし、なんか自分が集団に属することが苦手な理由がわかってくるような、そうでないような気がしてきた。なのでもう、人が生きていくって……大変だな……という感想で締めさせていただきます。(終わり)