後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

旅行には行かない

 危険は日常のどこに潜んでいるのかわからない。わたしたちは、いついかなる時でも油断はできない。

 結論から言うと、風呂場で座ろうとしたときに、バスマットの穴に足の爪先が引っかかり、そこに体重をかけてしまったので親指の爪が内出血した。長いこと生きてきたけれど、こんな理由で怪我したのは、生まれて初めてだ。人間いくつになっても、新しい体験はあるものだ。

 今まで、大きな怪我も病気もせず生きてきたわたしは幸運なのかもしれない。しかし、その分メンタル的に色々とダメージ食らっているし、そのために人生に支障も出ているので、何が幸不幸かはわからない。それに、大病というのは歳をとってから患うことも多いわけで、先行きは不安だ。

 親類の中には、歳をとってから頻繁に海外旅行へ出かけている人がいる。素朴に、バイタリティーがあるなぁ、と思う。

 わたしは海外旅行に行ったことがない。行ったことがあるのは、北は秋田、南は広島までだ。つまり、本州から出たことすらない。たぶん、父も母も行ったことはない。新婚旅行も国内だったと聞いたことがある。父はいつかヴェネチアに行ってみたいと言っていたが、結局叶わないまま亡くなった。

 旅行は、身体が動くうち、体力があるうちにしておいた方がいい、というのは本当だろう。昔ラジオで、「若い頃はよく登山をしていたんですよ、でも今はもう歳をとっちゃって……」という話をなんとなく聴いていたら、話をしていたのは八十過ぎの人で、「若い頃」というのは六十代のことだった。

 わたしは、目から鱗が落ちた。そうか、八十の人からすれば、六十なんて二十も若くて元気な部類に入るんだ、と。そのラジオを聴いていたときは、たしか三十代だった。三十になると、世間一般では「もう若くない」と言われることが多い。たしかに子どもではないし、大人や社会人としての責任も負っているような年齢ではあるが、もちろん年寄りというほど老いてもいない。

 今から思うと、はっきり三十代なんて若いし、四十代だってけっこう若い。たぶん五十代だって、思っているほど高齢ではない。六十も、そうして気がついたらなっている程度の歳なのだろう。

 若いうちから若者文化みたいなものにまったく馴染めなかったせいか、年齢層の高いラジオを愛聴していた一時期があって、そこから得られる情報は、そんな感じで色々と新鮮だった。

 しかしわたしは、これからも旅行には行かないだろう。体質的に向いていないので。あと、山登りももう懲り懲りなのである。