後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

三時間冷やす

 昼飯を食べるために「何かないかなー」と冷凍庫を覗き、焼きそばがあったので、ちょうどいいと、それを食べることにした。味噌汁の残りと、冷蔵庫にカリフラワーとセロリとキュウリの酢漬けもあったので、バランスもとれる。

 凍った焼きそばのパックは、レンジにかける前に二、三ヶ所穴を開けるようにと書かれている。わたしは、開封するときの切り口にもなるようにと、隅の方にハサミを入れた。そしてレンジにかけている間、ただ待っているのも無駄なので風呂掃除をしておく。

 しかし、温め終わった焼きそばのパックをレンジから取り出すときに、やってしまったのである。わたしはちょうど、切り口を入れた隅の部分をつまんでしまった。瞬間、両手の人差し指に衝撃がはしる。

 「熱っ!」というよりは、もはや「しまった!」と、すべてを察した後悔の方が強かった。たしか、この焼きそばで前にも似たような体験をしたはずなのに、と、忘れていた記憶が蘇ってくる。

 流水で指を冷やしながらも、わたしはその現実をなかなか認めたくなかった。

「いや、直接熱い金属に触れたとか、熱湯がかかったとかじゃないし。蒸気だし、蒸気……。蒸気って熱としては間接的な気がするし、それほどダメージ負ってない、と思いたい。瞬間的に熱かっただけで、セーフだ、セーフ。だって一瞬だったし、そんな……」

 そんな詭弁で自分を誤魔化しながら、味噌汁を温め、野菜の酢漬けを皿に盛っていると、両手の人差し指がじんじんと痛くなってきたので、もう認めるしかなかった。火傷したのだ。

 火傷はつらい。いつまでも痛みがひかず、きっちり冷やしておかないと水ぶくれになるし、治るのも時間がかかる。しかし、冷やしている間は自由が利かないし、ずーっと痛い。

 仕方なく現実を受け入れたわたしは、冷凍庫から小さめの保冷剤を取り出し、飯を食べている間も両手の指を冷やしながら食べるしかなかった。焼きそばの味は美味しかったし麺の固さも自分好みだったのに、指が痛むせいで、あまり美味いと思えなかった。

 保冷剤はしばらくすると表面が濡れてしまうので、ハンカチに包むなどして冷やす方がいいのだが、今日はもうめんどうくさくて、雑にティッシュに包んで指を当てつづけた。

 その後、ネットを見たりゲームをする間も、ずーっと保冷剤を交換しながら冷やし続ける。冷えて痛みが治まったら指を外し、しかしすぐに痛くなってくるので、また冷やす。その繰り返しだ。火傷した部分を保冷剤から離しても痛みがなくなってきたら、もう大丈夫だ。

 それまで、だいたい三時間。痛みが引いたときは、解放感と安心感でホッとしたのだった。

 そうして落ち着いてから考えると、三時間の処置で水ぶくれもできず痛みもちゃんと引いてくれるのだから、風邪を長引かせたり、切り傷をつくるよりは楽なはずなのだが、火傷というのはなぜあんなに憂鬱なのか。

 とにかく、あの痛みが苦手だ。ほんの小さな火傷ですら、身体の奥からヒリヒリとするような痛みがずーっと続くということに、なんだか恐怖を覚える。指の先でこれなのだから、全身火傷なんてしたらどんなにか苦しいだろうと、なぜか些細な火傷をするたびに考えてしまうという思考回路もよくない。

 こういうときばかり心底、ああ、小さな保冷剤を冷凍庫にやたら常備してある家でよかったなと思う。