後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

テレビが寿命

 どうやら我が家のリビングに置いてあるテレビが、そろそろ寿命らしい。背面に差し込んである、なんたらカードの接触が悪く、入れ直すと一時的に回復はするのだが、頻繁に映らなくなってきたそうだ。

 約十五年もののAQUOSである。たしか、まだ液晶テレビがそれなりに高価だった時期に、父が奮発して買ったものだ。その後液晶テレビはみるみる安くなり、完全にタイミングを見誤ったなという空気になった。(ちなみに父は、信じて買ったベータビデオの件を根に持って、ソニー製品の不買を貫いた)

 これまで基板を交換したり、度々修理しながらも使ってきたテレビだったが、とうとう買い換えるということになった。母が新しいテレビを買いに行き、数日後に届くということになったが、当のテレビはカードを抜き差ししたら、また映るようになっていたりする。壊れるならスパッと壊れてくれればまだ分かりやすいのに、「もしかして、まだ使えるのか?」と思わせるから質が悪い。まあ十五年ものなので、買い換え時ではあるのだろう。

 しかし考えてみると、我が家はそもそも、リビングのテレビが十五年もので、身内一人の部屋にあるテレビがそれより大画面の新しいものであること自体が、どこかおかしい気がする。

 今、身内の部屋となっている部屋は、もともとは応接間だった。そこは最初、家族でくつろぎながらテレビを見たりするための部屋だったのだが、ある時期からなぜか、身内は自分のベッドがある部屋で寝起きしようとせず、そこにこもって寝起きするようになってしまった。理由を聞いてもまともな会話ができなかったので、そこは今でも謎である。

 そんな感じで、リフォーム後そこは正式に身内の部屋となり、大型のテレビもそのまま据え置きとなった。個人用には大きすぎるし、リビングのものと入れ替えてはどうだという話も一時期あったが、結局うやむやになったらしい。

 改めて考えてみると意味がわからないが、まあ、リビングのテレビについては、わたしにはあまり関係がない。わたしの部屋には、自分用の小型テレビがあるし、今のところこれで満足している。

 家のリフォーム後に買ったもので、これを買うまでわたしには、自分用のテレビというものがなかった。それまでは応接間でテレビを見ていたのだが、テレビを見に行くと身内がちょっとしたこと(それまで何十年と普通にやっていたようなこと)でいちいち不機嫌になるようになったので、数年の間あまりテレビを見ない生活をしていたのだ。

 今時、ないと絶対に困るというわけでもないが、ないならないで物足りない。テレビとはそんな感じの物である。