後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

冬用の布団

 今日は夜になっても湿度が高かったので、とうとう冷房をつけてしまった。冷房というか、除湿だけれど。そうして空気が冷えてくると、一気に呼吸まで楽になったような気がする。適温は大事だ。

 しかしカビ臭い。これはもうどうしようもないと諦めているが、やはりカビ臭い。それでも湿度の高い暑さを我慢するよりは、体調に百倍はいい気がしている。カビ臭いけど。

 それでもちょっとは気になるので、開いた通風口から手を突っ込んで、拭き取れるとこなどは濡らしたティッシュで拭ってみたりもしてみたが、単に埃の汚れが取れただけで何の対策にもならないだろうことも分かっている。まあ、気分だ気分。精神衛生のためのせせこましい労力だ。

 まだ五月ではあるが、これから暑くなってくるんだろうと見越して、冬用の掛け布団はそろそろ処分することにした。その掛け布団自体、冬用にしては少し薄いので、「もうちょっとちゃんとした冬用の掛け布団があったはず」と母に言われたが、そんなものはもうここ数年使っていないし、そもそも、でかい冬用の布団を収納できるスペースはわたしの部屋にはないのだと、毎年言っても理解をしていないらしい。

 だいたい、その掛け布団だって毎年母の部屋にしまってもらっていたのだ。本来ならば、リフォームで身内の部屋に一番でかい収納用クローゼットを作ってしまったので、そこに家族用の大きなものをしまうはずだったのだが、リフォーム後からとくに身内の精神状態が悪化したので、結局そこは有用に使えていない。

 つまりどういうことかというと、でかくてかさばる布団なんて買ってしまったら、夏場に収納できなくて困るから、わたしはここ数年薄っぺらくて収納しやすい冬用掛け布団で生活していたわけである。しかし、母はそんなことを理解していないので、なぜか毎年わたしの冬用掛け布団を手渡しておきながら、「でもこれは冬用の布団じゃないでしょ」みたいな会話をする。

 このように、季節が巡ると、簡単に興味のないことに対する人の記憶は曖昧になる。しかし季節のことに一年中悩んでいるわけにもいかないので、人は忘れるときには忘れていた方がいいのである。そして毎年同じ時期に、同じことで悩むのである。

 たぶん、冬になったら冬用の布団を処分したことは忘れられているだろうから、その前に購入と収納についても考えなければいけないが、まあ憂鬱である。