後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

形の見方

 今日はまた久しぶりにお絵かきをしていた。作業中、同時にネットで動画も見たくなったので、いつもは画面全開にしているウィンドウを小さくしてみたのだった。当然ながら、作業領域はおもいっきり狭くなってしまうので、その分、ツールパレットなどを非表示にするのである。

 ところで、わたしの使用しているモニターは解像度1280×1024である。PC本体を買い換える前からずっと使っているので、けっこう古いしそれほど大きくない。机のスペースも限られているし、書類用ファイルとテレビも載せてあるので、これ以上大きなモニターを買い換える気も起きなかった。

 いや、一時買い換えを迷ってはいたのだが、調べると何を買えばいいのか分からず混乱してきて、ストレスで気持ちが悪くなってきたので諦めたのだった。

 おまけに絵を描くときは、だいたいツールプロパティだのブラシサイズだののパレットを開きっぱなしにしている。使える道具は常に目に見えるところに置いていないと不安な精神性が、デジタルでも発揮されている。ので、画面はゴチャゴチャしているし、狭い。

 そして、肝心のキャンバスも、全体のバランスを見るためにけっこう小さくして描いていくものだから、細かい絵というものが描けない。細部を拡大して描いてしまうと、全体のバランスがわからずに形が歪むからだ。

 そんなわけで、いつもは画面全体に表示していたのだが、今回は動画でも見ながら気楽に落書きでもしようという気分だったので、初めて小さなウィンドウでキャンパスを拡大しながら描いてみたのである。

 これがまあ、意外に描きやすかった、というのが今日の発見だ。

 というか、普段よりもバランスが取りやすいとすら思えた。

 理由を考える。絵のバランスを取れるかどうかというのは、自分の目というか脳が、どのように画像を処理しているかを意識することがコツなのだ。絵の見方には、たぶん人それぞれ脳の癖のようなものがあって、癖があると自覚しないと変えられない。

 ウィンドウのサイズを変えて、動画を見て、普段とは違う視覚情報が入ってきたのが逆に良かったのかもしれない。細部を描くときに拡大すると全体が見れなくなるように、自分の絵しか見てないと、客観的に形を捉えにくくなるのかもしれない。

 わたしはこれまで、逆に考えていた。余計な情報があると、気が散って形が分からなくなると思っていたのだが、実は逆だったのかもしれない。

 これは自分にとってはそれなりに新鮮な気づきだったのだけれど、しかし、文章というものに関しては、未だにどのように客観視していけばいいのか分からないのだった。