後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

味気ない

 五月なのに異様に暑いぞ、と思っていたら多少は落ち着いてきたのでよかった。しかし、夏用のシーツなどを出すタイミングは、毎年迷う。

 六月、十月ら入ったら衣替え、という感覚で生きてきたが、もうそんなの時代遅れなんじゃないかと思う。今や四月でも暑かったり、急に涼しくなったり、秋でも暑さが長引いたり、とても昔の感覚じゃやっていけないし、先がどうなるのかも分からない。

 洗った冬用の布団カバーも、どこにしまえばいいのかわからなくて、部屋の中を右往左往している。もう何年も着ていない、しまいっぱなしの冬服を処分すれば、たぶんスペースは空くのだろうが、服を選別して捨てる作業は、憂鬱すぎて能動的になれない。

 できなかったことばかり数えても、脳の容量は限界になってパニックを起こす。だから考えるとき、向かいあうときは一度に一つだけにすべきなのだ。そう、それはわかっている。

 わかっていてもできないのは、やるべきときにその鉄則を忘れているから。空回りしたやる気に急かされて、ちょっと前の学習なんてすっ飛んでしまう。儚いものよ。言葉で覚えて思い出しても、なんだか本質が違う気がして、再現できない。だからすべては理屈ではなく、気分の浮き沈みの方が重要なのだろう。

 気分のコントロール。どうやって自分で自分を騙せばいいのか。気を逸らせば良いのか。それがわかったら苦労しない。

 それでも変わらず月曜にはジャンプを買いに行き、今日は久しぶりに紙パックのカフェオレなんて買ってみた。安いし、百八円。缶コーヒーはあまり美味しいと感じたことはなく、ペットボトルもいまいちな感じがする。紙パックのカフェオレは、昔懐かしく甘ったるい味がする。

 昨日の買いすぎたハムカツサンドをお昼に食べれば、それだけでもうお腹はいっぱいだ。最近、運動してないからな。あまりカロリーを体か欲していない気がするのは、皮肉なことだ。体重も減った。しかしそれはたぶん、健康のために必要なものが減っている重さなのだ。

 わたしの分らしい、団子も饅頭もカステラも、まだ食べていない。あまり動いていないのでそれほど食欲がない。欲がない。それは良いことなのか、悪いことなのか。まあ、一時的にはそんなこともあるというたけなのか。欲にふりまわされて混乱するのもごめんだが、欲が湧かなさすぎる生活もまた味気ない。