後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

運動する気力がない

 今日は体調があまりよくなかった。飯を食べても、怠いというか体に力が入らない。

 これは暑さのせいだなー、と判断して、我慢せずに冷房をつけた。冷房というか、ほぼ除湿だけれど、湿気がなくなれば部屋はかなり快適になる。

 しかし怠さは残っている。昼食も、残りものの肉じゃがと米だけだったからかな、と考えた。しかし夕食を食べても、まだなんとなく怠い。体重計に乗ると、体重がけっこう減っている。

 最近、運動をやっていないせいで体力が落ちて、暑さに体が適応できなくなっているのだろうか。あー、まあ、そりゃ運動はしておいた方がいいんですよ。そんなの、わかってるんですよ。再開すべきなんでしょうねぇ。

 そんなふうに思考がぐるぐるするということは、わたしは本心では「うわー、運動再開するの、めんどくさいよー、やりたくないよー」と思っているのだと認めざるを得ない。しかし危機感は湧いてきたので、スクワットを二十回ほどやっておく。少ない。

 これから暑くなってくるし、運動で汗だくになるのはつらい。いや、やっていたときは達成感や自己満足も、あるにはあったはずなのだが、思い出せない。つまり、モチベーションが低下している。

 そんな重く考えなくても、短時間でちょっとできる運動をこまめにやればいいんじゃないの? と思うが、まあこれが難しい。「短時間でちょこっと」という時間というか、タイミングを自分で作るのが至難なのである。

 なぜならわたしは、ひとつの作業に集中すると、そればっかりになってしまう。途中で止めて休憩する、というのができない。「あともうちょっと、もうちょっと……」と時計を横目にしながら、一時間二時間経っているという日々である。

 それでも二年以上は、やれていたことなのだ。だが今は、やる気がない。なぜだ。体が怠くて体に力が入らないからだ。なぜ怠いのか。運動をしていないから……。ループである。

 そう、二年以上自分にできる範囲の運動をしていて、わかってしまったからである。運動したからといって、さほど目に見えて成果はないことを。何かを得られることもなく、ただ体力の衰えを防ぐという目的のためだけに、同じことをこれから何十年とつづけていかなくては意味がないのだろうと。

 つまり、モチベーションが尽きているのだ。

 これからの高齢化社会、膨れあがる医療費を抑えるために、健康であることが国民の義務として推進されていくだろうことを考えても、憂鬱である。健康であらんとするためのモチベーションは、そのために労力を割く気力は、どこから持ってくればよいのだろうか。「自分のため」と言ったところで、自分の人生の先行きにそんな期待も持てないのに。

 そんなことを考えながら、まあ、でもなんとか再開していく方向でやってみようとは思います。