変化する難しさ
今日も月曜日だったので、元気にジャンプを買いに行く。
いや、あまり元気じゃないけれど、こうして習慣となった行動をいつもと変わらずにとれるということは、ある意味自分のサイクルが正常であることを確認することにもなるのだ。
昼食用のサンドイッチと、おにぎりも一緒に買う。正直、おにぎりは余計な気がしたが、食欲に負けた。その代わり、菓子や飲み物を買うのは控えた。
最近、コンビニで飯を買うのにあまり悩まなくなったような気がする。と書くと、まるでわたしに決断力でも備わったかのように思えるけれど、実際にはそうではなく、わたしにとって食事というものが、本気で悩むほどの重大事ではなくなってしまった、という気分の変化が大きいのだと思う。
つまり、自分の健康や体に対して、「なんかもうどうでもいい、考えたくない」という諦めや面倒くささが、勝っている。向上心が、消えつつある。「自分のために、ちゃんと、より良い選択をしよう」という気力がないのだ。
だから、「あー、いつもと同じサンドイッチでいいや」という判断になる。自分としては、怠惰なのだ。しかし、行動としては効率的であるし、経済的なのだ。
なんとなく、そこに矛盾を感じて、わたしは悩む。
「より良い選択をしよう」などと頑張っていたわたしが、愚かなだけだったのか。それは現実には意味なんてなくて、本当は、「いつもと同じサンドイッチ」で充分なだけのことを、仰々しく考えすぎていただけなのか。それとも、これもやはり、怠惰で無責任な、退廃的心理なのか。
面倒くさいから、余計な飲み物は買わない。お菓子も買わない。ポテチも買わない。季節限定とかいったって、どうせ期待するほど美味しくないし。と、そうして、間食を減らせるのは、良いことなのか。それとも、新しいものに対する関心や興味を失った、不健全な状態なのか。
人間の理想は、常に矛盾している。
向上心を持って、自分を今よりも良くしたいとか成長させたいと思うのは、欲である。現状を否定するための、エネルギーが必要になる。その欲を捨てれば、目新しい変化は起きず、日常は安定する。
安定。しかし、安定は、滅びの兆候でもある。何も変わらないように見えて、時間が流れる毎にわたしたちは歳をとるし、世の中も自然も変化するからだ。安定にとどまろうとすることは、変化への適応が遅れるということでもある。
だからわたしはここ数年、変化へと自分を慣らす練習を色々と模索していたはずなのだ。しかし、それは、やはり、とても、疲れるししんどいことなのだなぁ、と感じている。