後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

セロリは悪くなかった

 起きたら三時半だった。夕方だった。なんてこったい。

 気候が暑くもなく寒くもなかったせいで、寝やすかったのだ。枕元に置いた携帯電話の緊急地震速報の不快な音がなかったら、たぶんそれ以上に寝ていた。こうしてわたしの日曜は虚しくはじまった。

 速報があったわりに家はそれほど揺れなかったが、速報がなかったら更に寝過ごしていただろうと思うと、かなり反省する。さすがに昼食らしい昼食をとるのも気が引けて、家族がおやつにと買ってきたアップルパイもどきなパンとカフェオレで腹を満たした。

 「アップルパイもどきなパン」は、アップルパイっぽいけどけしてパイではないという擬態的なパンである。正式名称は知らない。外側の生地も一見パイっぽいので惑わされそうになるが、かじると中からふんわりスポンジが湧いてくるので、「あ、パイじゃなかった」と気づく。そこにくたっと柔らかく煮込まれた感じの、甘酸っぱいリンゴが入っている。この甘酸っぱく形を残したリンゴというやつが美味しいので、パイでもパンでも、どっちでもいい。スポンジが入っているということは、アップルパイとアップルケーキのいいとこ取りを目指したパン、とでも解釈すべきなのだろうか。ともあれ、ほどよくボリュームがあったので、三時過ぎの間食のような昼食としては充分だった。栄養バランスとか高尚なことは、このさい頭から捨てるのだ。

 それから夕食までは、またひたすら読書である。夕食は、まあ鶏肉とか野菜炒めとか、味噌汁とか玄米とか、和布蕪とか、そういう感じだ。デザートにメロンを食べたが、まだ微妙に熟れていなくて固かった。メロンは嫌いではないが、当たり外れが大きい。そういえば、昔仲のよかった友達は、メロンを嫌いだった。理由をたずねてみると「水っぽくて美味しくないから」と答えられたように記憶している。

 子どもの好き嫌いは、その食べ物の第一印象や先入観が強いものだ。たまたま美味しくないものに当たってしまって、それを「嫌い」だと勘違いしてしまうのはよくあることだ。友人がその後、メロンに対する評価を変えたのか変えなかったのかは、もう交流がないのでわからないが。

 わたしも子どもの頃は、自分はセロリを嫌いだと信じていた。しかし大人になってから、なぜかセロリの葉の匂いが、とても芳しくて美味しそうに思え、そして食べてみたら美味しかったので、「わたしが苦手なのは茎の方なのかな?」と考えた。しかし、茎もやはり美味かったのだ。

 思い返してみると、わたしのセロリに対する苦手意識は何から生まれたかというと、小学校の給食に出されていた、ミネストローネだった気がする。トマト味の野菜スープである。わたしはそのスープが、臭みや雑味があるように感じて好きではなかった。その元凶は香草であるセロリにある、と思い込んでいたのだが、これがどうやら誤解だったようだ。

 ちなみに、家や店で出されるミネストローネはふつうに美味しいので、たぶん給食のミネストローネだけが口に合わなかったのだろう。何が悪かったのかは、今考えてもわかりようがないけれど。