後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

片づけに危機感が足りない

 最近グラブルが疎かだったので、そろそろイベントやっとかないとなー、という心理になってきた。読書が佳境をこえたので、ペースを落としても精神が安定してきたのだろう。しかし、安定して出てくる結論がそれかい、という気はするけれど、結局それなんです。

 片づけのことにもちょっと悩み、また分類について調べたりもしたが、「まず何がどれくらいあるか把握しましょう」と、「そんなのとっくにわかってるわい」という教えにぶち当たったところで、やる気を失った。

 何がどれくらいあるか客観視できたところで、物理的スペースは増えない。六畳が八畳になったりしない。せいぜい、部屋を更に圧迫することになる収納ボックスを積み上げるくらいのことしかできない。

 収納ボックスがあり、分類ができたと仮定しても、まだその先に問題がある。定位置を決定できない。定位置を決定するには、「使用頻度」「実用度」「お気に入り度」等々、いくつかの要素を鑑みつつ、生活動線を配慮した配置を考える必要がある。そしてわたしの片づけが完遂しないのは、そうして無駄に理想のハードルを上げているからである。

 しかし、最終的にどのような部屋にしたいのか、というビジョンは必要だ。物をいちいち分類している段階では、このビジョンが浮かびようもない。一体どの段階で、具体的なビジョンを思い描くべきなのだろうか……。

 茫洋たる片づけの航路。指針が見えない。縋りつく島影さえ見えない。毎度こんな感じで、自分自身も飽きている。しかし、飽きているからといって自分の住環境の改善を投げ捨てるわけにもいかなかった。

 片づけは義務でも何でもないし、わたし個人が多少散らかった部屋で生活していようと、誰に迷惑をかけるレベルのものではないが、わたし自身がその劣等感から逃れられないのだから、やはりそれは解決に向かうべき課題なのだ。

 昔はよかった。テストの前日や、課題の期限が近づいてくるとそれだけで、部屋の片づけ作業に拍車がかかった。ついでに、模様替えや整理作業までもが捗った。あの無駄なやる気は、一体どこから捻出されていたのだろう。何か、逃避したい現実がわたしにあればいいのか。いや、今更そんな幼稚な追いつめられ方で片づけをするのはさすがに嫌だが。

 そう、期限がない、という余裕と怠惰に満ちた状態がそもそもの根幹にあるのだろう。何日までに片づかなければ部屋を追い出される、みたいな緊張感を、自分一人で演出するのも難しい。

 そして今日も部屋の隅に積み重ねられたものを眺める。実は、量はそれほど多くない。だから心理的に危機感も湧かない。掃除機をかけるのに困るほどの物が溢れているというわけでもないのだ。

 いっそ、もっと散らかってしまえば一気に片づける爽快感も得られるのかもしれない。