後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

外出の意欲がない

 気がついたら、六月も残りわずかだった。またそろそろカフェにでも行ってみようかな、という気力が少し戻ってきたので、ネットでメニューを調べたりした。なにしろ三月辺りからご無沙汰なので、春のメニューから夏のメニューへと変化があるはずなのである。

 思ったよりも、変わっていた。ランチメニューが増えていたし、ケーキセットの値段も微妙に違う。スイーツのレギュラーメニューにも変化があった。珈琲の種類も増えている。あまりの変わりっぷりに、「あれ? 店舗限定とかじゃなくて?」と疑ったくらいだ。

 まあ実際、店舗によって値段やメニューが違うこともあるので、そこはいつもの店に行ってみなければ確信しようがない。その「確認してみたい」という気持ちがあれば、少しは前向きな外出意欲に繋がるかもしれないし。

 しかし本当は、もう一押し欲しい。新しくなったメニューは、以前とそれほど差があるわけでもなく、どうしても行きたいと思わせるような魅力があるとは言い難かった。周辺にあった本屋もなくなってしまったので、ついでに寄る店も存在しない。そこが地味につらい。ただ単純に、飯やケーキや珈琲を求めに行く店としては、それほど便利ではない店なのだ。

 もっと何か、楽しいことはないのだろうか。やる気が出るような、あと数年は生きてもいいと思えるような、人生の彩りとなるような何かは、もうわたしには見出せないのだろうか。

 放っておくとそんな落ち込みがどんどん酷くなるので、わたしはそれをソシャゲで紛らわすしかない。この世にソシャゲがあって本当によかった。(よくない)

 暑くなってきたのだし、美味しいかき氷でも食べに行ってはどうかと思うが、わたしのような情弱者が調べて出てくるのは人気店ばかりで、そういう店はだいたい混んでいるし遠いし高い。調べるうちに行く気を失う。

 そういえば、比較的近い場所に蕎麦屋とカフェが合体したような店があった。たしか夏は、そこでかき氷も出していたはず、と思い出すも、ダメだ近すぎてイベント感がないし、期待外れだったときのショックが大きそうだ、などと最初からネガティブなことを考えてしまう。店にも失礼だ。

 そう、人気店ならば、「あの人気の店に行ってきました」という話の種になるだけでも、付加価値があるのである。評判通りに美味かったとしても、自分の口には合わなかったとしても、「体験」として周りの人間と共有できれば、損はしていない気がする。

 そこまで考えて気づいてしまったが、わたしの今現在の無気力出不精は、そうしたコミュニケーションの欠如も原因なのだ。とくに会話を弾ませたい相手がいるわけでもなく、今現在は会話の種に困っているということもない。ならば、わざわざ金と時間と体力を浪費したくないという方向に、わたしの惰性が傾くのは必定である。

 その環境自体がおおきく変化することもなさそうだし、もしかしたら当分はこのままかもしれない。