後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

掃除くらいしかする気がしない

 ふと我に返ると、「自分、なんで生きてるんだろう……」と考えてしまいそうになるので、よくない。今日は久しぶりに、部屋に掃除機をかけたのだから、いいじゃないか。そうして自分を肯定しようとしても、ふり返るとベッドの上に大量の荷物がある。

 そう。掃除機をかけるのに邪魔だから、床からベッドに移動させた、片づけられない諸々だ。本棚代わりにしている、収納方法を根本的に間違えたクローゼットの奥から引っ張りだしてきた、読みかけの小説十四冊も積まれている。

 はー、これからこれらをまた床の上に積み直すわけですよ、めんどくせ。(自己責任である)

 雨の音が聞こえる。明日も一日雨らしい。たしかに七月の初めは雨が多くて、地元の夏祭りも、七夕も雨の日が多かったなと思い出す。

 急なトラブルだとか、天候だとかによって、細かい予定が狂っていく。たいした予定でもないけれど、一度タイミングを逸すると、二度目に体を動かすのがひどく億劫になるというのはよくあることだ。

 部屋の隅に積んである、ジャンプタワーもいい加減整理しなくてはならない。部屋の中にいても、やれることは色々あるはずなのだ。そう、片づけとか、片づけとか、片づけとか……。ダメだ、ループしていく。

 片づけをするくらいなら、掃除をしていた方がマシだ。そう、だから今日は掃除機をかけた。掃除はいい。片づけよりも、やったことの成果がわかりやすくて、スッキリする。

 わたしは創造には向かない人間なのかもしれない、と思う。

 絵を描いても、文章を書いても、一向に満足感を得られない。だが、掃除機で床に落ちた髪の毛や埃を吸い取り、サッサで机や箪笥の埃を拭ってその汚れを確認する瞬間は、ある種のやり甲斐を感じている。

 しかし掃除なら何でも好きなわけでもないし、昔、年末の大掃除で窓ガラスを拭かされたときはきつかった。なにしろ冬で寒かったし、ガラスは洗剤を吹きかけ、拭いても拭いてもたいして綺麗にならないのだ。そして数日経てば、またすぐに汚れる。

 掃除は、目に見えて「ああ、汚れが消えてきれいになったなぁ」という実感が欲しいものである。