後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

いつかの機会

 あれ、今日はちょっと涼しいな、と温度計を見たら三十三度だった。べつに涼しくはない。ここ最近の暑さが異常すぎただけだった。

 ここ数日は深夜になってもなかなか室温が下がらなかったのに、今日はしっかり冷えて寒いくらいだ。よかった。あまりに効きが悪いので、エアコンが壊れかけているんじゃないかと心配していたのだ。

 おかげで昼食の冷凍パスタも、温めて冷房なしの部屋で食べることができた。一応、マイタケ入りのボロネーゼだったらしいが、肉成分はほとんど感じない上に、マイタケも少量しかない、炭水化物と脂っこいソースがメインといういつものアレだった。そのため、夕食時には力が入らず、食べた後もなんとなく物足りなくて、食パンを一枚追加して食べてしまったら、腹を下した。

 どうして同じ失敗を繰り返してしまうのか。

 冷凍パスタだけだと栄養が偏るから、野菜やタンパク質を加えた方がいいのはわかりきっているけれど、面倒くさい。脂っこい炭水化物は、多めに食べると夕方以降に腹を下しやすい。それでも、昼飯はなるべく手軽に済ませて、手間暇かけたくないという想いが勝る。

 丁寧な暮らしができないな、と思う。

 丁寧な暮らしとは、たぶん、自分自身を大切にする時間の使い方ができる暮らしだ。飯を作る時間とソシャゲで遊ぶ時間を天秤にかけて、ソシャゲで遊ぶ時間を優先させてしまうような大人になってしまった自分には、無理だ。

 ソシャゲをやらなくても、どうせネットをぼーっと見ることに、無駄に時間を費やしてしまう。とくに目的もないのに、目的を探さずにはいられないかのように、同じ所を巡回している。結局、可視範囲すら狭い。

 地元の飲食店チェックなどをして、「まあ、どうせ行かないだろうしなぁ」と思い、たまたま見かけた美味しそうなかき氷情報を見ても、「どうせ遠いから行けないしなぁ」と思う。食欲ではもう、気持ちが奮わない。なのにチェックだけはしてしまう。

 父がかつて、テレビのグルメ情報番組を見ながら激怒していた気持ちが、今では少しわかる。父は「どうせ自分には食べられない」ものを、他人が他人の金で美味そうに食っている姿を見せつけられて、何が面白いのかわからない、と主張していた。

 それを聞いたわたしは、「なんて卑屈な妬み嫉みを、恥ずかしげもなく口にするのか」と、ちょっと引いていた。父が共感されたがっているのはわかっていた。だからわたしは共感しなかった。グルメ情報は、テレビ番組として見ていて楽しい方だったし、わたしは父の共感装置として扱われることにはうんざりしていたからだ。こちらがいくら空気を読んで共感してやっても、向こうはこちらが共感してほしいことは平気で否定するし馬鹿にするだけだと知っていた。

 なので、気持ちは理解するけど共感はしたくないし、「いつか食べる機会もあるかもしれないじゃないか」くらいの楽観は持っておきたいものだと思う。