後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

台風一過

 九月の終わりに台風がやって来た。最近は涼しくなってきて、金木犀なんかも咲きはじめて、今年ははやいなぁと思っていたら、もう十月だった。

 深夜から早朝にかけて、台風の影響で何度も停電したり直ったりが繰り返され、よく眠れなかった。最初に停電になったときには、PCでネットを見たりお絵かきをしていた最中だっただめ、とても精神に負担がかかった。しかし、そこで自分が悩んだところで何も解決はしないし、おとなしく寝るしかないなと床についたのだが、電気がないのはとても困る、困りすぎる、だいたいうちの便所は電気がないと水を流すこともできないので、電気が不安定になるといつも心配になってしまう。

 久しぶりに寝付けない、妙に火照って苦しい状態がつづき、起きても停電が直ってなかったら、わたしはどこかへ逃げようかと考えていた。図書館にでも、行くか。それくらいのことしか思いつけない行動力のなさも、哀しい。

 こんなに精神的に弱くて、これからどうやって生きていけばいいんだろう。気がつくと、そんなことを考える。考えるから眠れないのだ。意識を逸らそうと、まったく関係のない楽しい妄想に逃げようとするが、逃れきれない。

 だいたい今わたしが生きていることすら、何かの間違いであり誤魔化しなのだとしか思えなかった。誤魔化しだから、今辛うじて保っているバランスが崩れれば、どうにもならずにわたしは死ぬしかない状態に陥るだけなのだ。みんなそうやって死んできたのた。これからも死ぬのだ。人間の社会なんてその程度に脆弱なもので、安泰だと思っているものなど幻想でしかなく、社会にとっては重要でない部分、見えない興味も持たれない部分では、そうして毎日みんな死に向かって生きているというだけなのだ。

 みたいな考えが、どうしても脳にべったりと張り付いて離れなくなる。これを忘れるためには、わたしには娯楽とか現実逃避の作業というものが必要で、それを与えてくれるお絵かきやソシャゲや本も、この電気の通らない闇の中では手に入れることができない。

 だからせめて寝て逃避しようと思ったのに、寝付けないからわたしはひたすらこのネガティブな自分自身の思考と向き合うしかなくなるのだ。

 そして早朝になり、停電が直った気配がして、わたしはようやくストレスから解放されることになった。電気だ。つまりは、生活のためのインフラが失われる恐怖や不安が、わたしの心を押しつぶしていたのだ。

 とても単純すぎる。だが、それがわたしという生き物の習性なのだと受け入れるしかない。

 台風の去って行った十月一日は、予報通りに暑かった。