後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

レジ袋有料ライフが始まった

 七月一日から、レジ袋が有料になった。

 というわけで、自分もドラッグストアやコンビニにちょっとした買い物に行くのにも、エコバッグ的な買い物袋を持参しなくてはならなくなった。

 いや、持参するのがイヤなら、有料で買えばいいんだけど。買えばいいだけなんだけど、なんとなく「バッグ持参じゃないと」という空気に流されてしまった。

 まあ、実際にレジ袋は部屋に溜まって溢れているんですけど。まだ先月に買い物した分のレジ袋が、部屋の隅に散らかっているという有様なんですけど。ゴミ袋として使うので、畳まないといけないんですけど。めんどくさくてつい、そこら辺に散らかしたまま時が過ぎていくのです。

 そんなわけで、ゴミ袋としてのレジ袋の備蓄はかなり溜まっており、わざわざそれを有料でもらうのもなんだかなー、という気分によって、私はマイ買い物バッグを持って行くことにしたのです。しかし、財布をポケットに突っ込んでふらりとコンビニにでも買い物に行くか、みたいなムーヴができなくなったのには、想像していた以上に縛りプレイな不自由さを感じると気づく。

 だいたい、いつも無計画に店に入っては、フラフラと店内を物色しながら場当たり的に何を買うかを決めていくというのが私の買い物スタイルなのだ。バッグを自分で用意するからには、そのバッグに入る分しか買えないじゃないか、と当たり前のことにテンション下がる。折しもコロナ禍の最中ということで、あまり店に長居するのもどうかなと、以前よりは店内でウロウロとさ迷わなくはなったのだが。

 それにほら、コンビニでたまにチキンを買いたくなるときがある。レジの横にある、あの脂でギトギトのやつ。あれなんか、専用の小袋がないと困る。以前に、週刊少年ジャンプと同じレジ袋に入れて持ち帰ったら、表紙のインクがチキンの脂で溶けていたことがあった。「へー、表紙のインクって、チキンの脂で溶けることがあるんだ……」と、見たままのしょうもない学びを得た。あんな思いはしたくない。衛生的にも困るし。

 どうしよう。揚げ物の袋はどうせ使い捨てだし、割り切って有料でもらうべきだろうか。それとも、部屋に余っているゴミ袋用のレジ袋を消費してしまおうか。しかしそのためには、あらかじめレジ袋を買い物バッグに入れて用意しておかなければならない。

 正直、めんどくせーなー、と思った。心も体も、まだレジ袋有料ライフに適応していないと感じる。たぶん、慣れてしまえばどうってことなくなる行動の選択肢に、いちいち思考のリソースを割かれているのがわずらわしい段階だ。

 『行動変容』という言葉を最近はよく聞くようになったが、実際、人間の生活様式だの思考だの行動だのを根本から変えることは、とても難しくストレスだ。だから本来なら『行動変容』なんて、専用のカウンセリングを受けたりしながら、時間をかけて自分を変えていくことだったはずだ。

 人間、そう簡単に変われない。変われるなら苦労はしない。だからあまり、市民に変わることを簡単に求めてくれるな、と思う。