後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

歴史に学んでほしかった

 今日は起きたときから喉の調子が悪くて、ちょっと不安になった。おもわず、ここ最近の行動などを振り返ってしまう。公共交通機関は使ってないし、人の集まるような場所にも行っていない。それでも買い物や散歩はしているし、マスクをした店員さん以外との会話も接触もないんだけれど、万が一ということがある。

 いやしかし、自分の行動で感染していたら、そりゃもう空気感染のレベルだろと思ったが、そういや接触感染ていうのもあるから、なんか買ったものとか食い物とかにウイルス付着していたらアウトかもな、とそこまで考えはじめるともうきりがないのである。

 今のタイミングで感染なんてしたら、入院も宿泊もできず、自宅療養になる。市内の感染状況を見ても、日々自宅療養の数だけが積み重なっている。自宅療養になってしまったら、家庭内感染を防ぐなんて、まず不可能だ。ヘタすると、高齢の母は死ぬかもしれない。母が死んだら、今の我が家の状況では全員首つるしかないだろうなという事情があり、まあ詰む。だから絶対に感染したくない。

 ここ一年、公共交通機関は利用していないし、外食もしていないし、ろくに人にも会っていない。そういう低リスクな生活ができるというのは、ある意味恵まれてはいる。それでもまったく外に出ないわけではないし、変異株の問題なんて考えると、「屋外を散歩するだけならマスクなしでもいいか、人がいても距離を取ってすれ違うくらいだし……」というのもダメになるかもしれない。

 考えれば考えるほど憂鬱だ。どうやらワクチンは今年の五月どころか、年内にできるかどうかも分からないらしいし。ほんと政府も厚労省も何やってたんだ。未だに五輪開催に恋々としているにしては、何もかもが行き当たりばったりで杜撰すぎる。

 そんな情報は去年から吐き気がするほど浴びてきたので、もうこの国がどんなに最悪最低でも驚くことはないのだが、それでも真綿で首を絞められているような絶望は消えない。どんな道程を経ようとも、人の行き着く先はすべからく死だが、だからといって無能で酷薄な国の無策によって殺されるなんて悲惨すぎる。

 まあ、歴史上そうした悲惨な死を迎えた民の数もまた膨大なわけですが。人は本当に学ばねぇな。というか、歴史を反省して学ぶことの出来ない国は滅ぶわ、確かに。そう納得するしかない一年だった。