後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

今日も片づかなかったよ

本日をふり返る。

図書館で借りてきた本を読むつもりで読んでいたが、どうにも集中できず、爪を切りたくなったり掃除をしたり部屋の片付けをしたくなったりしてきたので、それをすることにした。

私は片づけが苦手だ。嫌いではないのだが、苦手だ。

とにかく部屋を片づけたいという欲求が常にある。片づけなければいけないという義務感があり、片づけられなければ駄目だ、片づかなければ効率よく心地よい生活・作業環境が構築できず、心身共にパフォーマンスが落ちて自己嫌悪や否定のスパイラルに陥り、そうなれば片づけする気力もなくなる。だから片づけねばならない。そういう思考が頻繁に脳内を巡っている。

反省のために、以下に自分のしょうもない片づけ失敗の過程を書いておく。

 

①なんとなく「あー、片づけたいなぁ、片づけなきゃなあ」と思いつく。何か別の作業をしているときに逃避のように閃くのが厄介だ。

②とりあえず、気になっているものの数や種類を網羅しようと拡げはじめる。このとき、埃が溜まっているのが気になって掃除に脱線することもしばしば。

③拡げたものを手に取り、その用途や使用頻度を考える。それによって定位置を決めようと考えていたはずが、やはりいつしか思考が脱線し散漫になっていく。「あれ、これ何に使おうと思っていたんだっけ」「これは基本的に予備だから使わないし、こういうのはまとめてしまう方がいいんだろうな」「うーん、使うか使わないかわからないけど捨てるのは勿体ない。でも溜めておくのも邪魔だしな」……と、頭の中で一度に処理しきれない情報が飛び交いはじめ、もう何をどうすればいいのかわからなくなってくる。

④集中力が切れ、ちょっとした気分の転換のつもりでテレビを見たり漫画を読んだりしはじめる。当然、それ以後は片づけられるはずもなく、部屋に拡げた諸々を前にして「ああ、これ寝る前に元の位置へ積んでおかなくちゃな……」と諦める。

 

この不毛なサイクルを繰り返して、もう何年たったのだろうか。

病んだせいなのか、リフォームの際に将来を悲観して机や本棚などの収納家具を処分してしまったためだろうか。単に自分が無能なのか。昔はここまで酷くはなかった気がするが、その中間に当たる時期は今以上に片付けなどできなかったことを思えばそれよりはましになったのか。わからない。自分ではまったくわからない。

そして今日も「片付けができなかった」という不毛な虚しさだけが募る。

片付けとは何なのだろう。最近は、答えの分からないまま挑む立体パズルのように感じる。自分の所有する、管理するものを、自分の部屋という生活空間内に適切に配置するというだけのことなのに、それがこんなにも難しい。

何が適切なのかわからない。おそらく、適切であらねばならないという自分の理想に縛られてもいるのだろう。

ふだん使うものは、なるべく出し入れのしやすい場所に。消耗品と予備とは別にしたい。いやでも、予備だってどこに何がどれくらいあるのか把握していないといけないから、すぐに目の届く場所にあるのがいい。本やゲームはどうしよう。CDは一応すべてデジタル化してあるけれど、PCで聞くと音が物足りないから好きなCDは手元に置いておきたいけど……。本、本棚がもう無いというのは痛い。クローゼットに積んでおくしかない。それももう限界で埃かぶってる。つらい……。ノートやメモは? 文具は? 服もぜんぜん整理してないからたぶんいらないものあるよね? あー、でもいちいち引っ張り出すとしたら、それを片づけるためのスペースも空けておかないと。無駄に溜まったレジ袋。一応、サイズ別に袋に分けてあるけれど、その袋自体がしまう場所なくてクローゼットに突っ込んであるんだよね。整理できていない紙類、パンフレットとか説明書とか。サイズバラバラだし棚も何もないからこれもクローゼットに積んでる。ぐわー、ぐわー、もう何から手を付ければいいのかわからん!

そんなわけで思考がちっともまとまらず、本日も無事に片付けは失敗しました。

明日は本を読もうと思います。