後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

『「感情」から書く脚本術』の感想

 まあその、ちゃんとした文章とか書けないコンプレックスのある人間なんで、文章の書き方とか、面白いお話の構造とかに関する本を読むのが好きなんです。

 四百ページ以上ある厚い本で、読むのにけっこう時間かかった。

 以下、ほぼ自分用に、章ごとの感想やまとめ。

 

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CHAPTER 1 読者:唯一のお客さん

 書かれた脚本はまず下読みさんに読まれるのだから、そのことをよく自覚しなさいよ、という話。

 

CHAPTER 2 コンセプト:その物語にしかない魅力

 コンセプト。よく聞く言葉だし、わかっているような気はするけれど、改めて問われると実はわかっていないのではないかという気になってくる、コンセプトという概念。

 アイデア。つかみ。独創的な。魅力的な。ジャンルであり、タイトルであり、キャッチコピーであり。それだけで「見たい」と思わせ、感情を動かすもの。

 たしかに、これだけ多くの娯楽コンテンツが溢れている現代、それがなかったらわたしは何を選べばいいのかわからない。

 

CHAPTER 3 テーマ:普遍的な意味

テーマは、物語を構築するための土台なのだ。テーマは脚本の核であり、心臓であり、魂なのだ。つまりこういうことだ。あなたが書く脚本の中にあるほとんどの場面は、そして登場人物は、会話は、そして映像は、テーマを反映するべきなのだ。

表面にあるのが物語、その下を流れるのがテーマだ。物語に惹かれて観客は映画館にやってくる。そしてテーマが鑑賞体験に意義を与える。

 鑑賞体験の意義、という言葉に、なるほどと思った。

 映画を見に行くのはもちろん娯楽のためだけど、わざわざお金を払って「見てよかったな」と満足感を得るには、見ている間だけ現実を忘れられる刹那的な楽しみだけでなく、見終わった後にもより深い何かを得たと思えた方が有意義な選択をしたと思えるし、また映画を見ようという気にもなる。

 

ドラマの脚本において説教は嫌われる。なぜならテーマを教えようとしてお仕着せがましいからだ。「語るな、見せろ」ということを、脚本家なら知っているべきなのだ。脚本を読んだ人に言葉で教えるのではなく、アクションを、つまり登場人物の行動を通してテーマを見せる。そして読者に心でテーマを感じてもらうのだ。

 あるある。直接的すぎる説教になっているパターンと、テーマを適切に映像化できてなくて伝わらないパターン。最近も見たばかりだ。

 

テーマを語らず見せるための9つの技

  • テーマを話の前提ではなく、問いかけにする
  • テーマを感情で包んで、そこからアイデアを引き出す
  • 主人公の心が求めるもの、そして主人公の変化の過程をテーマにする
  • 肯定的なことは主人公を、否定的なものは敵役を介して伝える
  • サブプロットを通してテーマを伝える
  • 複数の登場人物にテーマの一部を背負わせる
  • 伝えたい真実に負けない力強い反論を提示する
  • テーマを会話に織り込む
  • テーマをイメージ、ライトモティーフ、または色彩で伝える

 ……色々あるんだね。

 

CHAPTER 4 キャラクター:共感を掴む

 キャラを作るために詳細なプロフィールのチャートを埋めていく方法を、「フランケンシュタイン法」と呼ぶのは初めて知った。

悪いというわけではないが、このやり方で創ったキャラクターをページの上で生き生きさせるのは結構難しい。問題は、ページ上で生き生きしていなければ話にならないということだ。

 たしかに、おまけの設定ページにはやたら詳細なプロフィールが載っているのに、それが本編ではまったく活かされてないという漫画をいくつか見たことがある。

 

 興味深かったのは、「嫌われ者を主役にするとき」という項目。

「嫌われ者」をヒーローにするという問題にぶち当たったら、読者に対してその人が高潔な印象を与えるようにすること。そして敵役を主人公以上にあくどい、吐き気を催すようなキャラクターにする。高潔な印象は、強さ、機転、有能、寛大、忠実といったことで与えられる。嫌われ者も、その物語の中だけで成立する倫理観の範囲内で正しいことをしていると判断される。

 キャラクターを「共感できる善人」にする必要はないけれど、なにがしかの魅力のある人物にはしなければならないということだろう。

 しかし、これは言葉よりも難しいことじゃないかと最近は感じている。そもそも受け手の「倫理観の範囲」にはかなりばらつきがある。立場や世代によっても異なる。そのために、作中では「いい奴」として扱われているキャラクターが、「いや、こいつのこの行動や言動は許せない、ひどい奴だ」と受け取られてしまうこともよくある。

 主観的な指針だけでやっているとその手の齟齬が出てくるから、エンタメをやるなら客観的な第三者や専門家のアドバイザーがいた方が安全なのだろう。

 

CHAPTER 5 物語:高まる緊張感

物語の定義

「鮮烈で、感情を刺激し、対立があり、はっと興味を引くような事件の連なり、またはその帰結」

「お話としてまとめられた連続的な出来事で、その出来事の結果として、人間的な価値を持つキャラクターが苦労を経て変わる」

「同情に値するキャラクターのこと。その人が、段階的により困難になっていく、一見不可能とも思える困難を乗り越え興味深い欲求を満たすこと」

「簡単には手に入らない何かを求めるキャラクターがいる」

 

プロットとは

「物語とは、キャラクターがやりたいと望むこと。プロットは、作家がキャラクターにやらせたいこと」

物語を創るのは、コンセプトと、テーマと、世界観と、キャラクター造型だ。その物語を、プロットを通してどのように語るかを考案する作業が、次にくるのだ。

 

 この章では、ドラマを盛り上げるテクニックが数多く解説されていて、ページ数も多い。読めばどれも「はいはい知ってる」と思えるのだが、いざ作り手になってこれらの要素すべてを理解し使いこなすのは、そりゃ大変だろうなぁと思った。

 「マクガフィン」という言葉はたまに見るけど、意味とヒッチコックの造語であることを知った。他にも、作中キャラクターは知らない情報を観客が知って優位になるのを「劇的アイロニー(ドラマ的皮肉)」と呼ぶとか。

 

CHAPTER 6 構成:のめりこませるための設計

 だいたい、三幕構成の解説。三幕構成そのものは有名なので、この章はそれを知っていることを前提に書かれている感じ。

 エンディングについての解説で、「サッド・エンディング(悲劇的幕切れ)」という言葉を初めて知った。「バッドエンド」という言葉にゲームなどで慣れてしまっていたけれど、たしかに「悲劇=悪」なわけではないし、こちらの言葉の方が適切なんだろう。

 

CHAPTER 7 場面:心を奪って釘付けにする

 この章も量が多く、細かく色々説明されているので、気になったところだけざっとまとめてみる。

 

三種類の場面

  • 説明の場面
  • スペクタクルの場面
  • 劇的な場面

 

場面の三つの役目

  • 対立を介して物語を進める
  • キャラクターの知られざる側面を明かす
  • 読者の感情を揺さぶる

 

劇的な場面に必要な要素

 目的・場所・時間・天候

 

説明

聞き手の関心を掴み続けるために、どこまで明かしてどこまで隠すか。それがお話を語るということだ。明かしすぎると物語が神秘性を失い、読者は飽きる。隠しすぎると読者の混乱を招き、話が追えずにイライラしてしまう。 

 なんか情報を出してくるタイミングがおかしいぞ? と感じて困惑した作品、よくある。

 

場面の振れ幅

場面を考えるときは、陽極(そのキャラクターにとってすべてがうまくいっている)の行動で始めるか、または陰極(うまくいっていない)の行動で始める。そして、変化があるということが場面の意義なので、反対のエネルギーを帯びて終わるべきだ。

 他の本でも似たような解説を読んだことがある。始まりと終わりで、必ず変化がなくてはいけないってやつ。

 

場面の始まりと終わり

初心者の傾向として、場面を始めるタイミングが早過ぎて、終わるタイミングは遅すぎる。つまり情報を出し過ぎるのだ。

 これもあるあるなのか。出来事の途中から始めるといいらしい。文章も本題から入れというが、それと同じようなことだろうか。

 

発見と露呈

理想的には、常に新しい情報が場面に流れこみ、新しい対立が起こり、新しい捻りが加わるのが望ましい。少なくとも1つの場面に1回ずつは欲しい。発見がある度に、それは小さな逆転として機能し、場面の流れを変えるのが望ましい。そして、キャラクターと読者の双方に感情的なインパクトを与えなくてはならない。

 それはまた大変だな、と思ったけど、たしかに面白い作品は絶えず飽きない変化がある。テンポ良く圧縮されていると、あっという間に時間が過ぎてダレない。受け手を飽きさせない工夫をしないと、エンタメとして評価されないものな。

 

過去の回想

読者が過去の出来事について知らないと物語が進まないという緊急時だけに、回想を使うこと。読者が回想で明かされる出来事を知りたくてうずうずしているという状況を仕組んでから、回想にいくのだ。

 回想は扱いが難しい、というのは他の本でも読んだことがある。話の流れを止めると読者の意識が物語から逸れるから、どうしても必要でなければ入れるなという話。

 

キャラクターの内面を明かす

脚本家の卵がよく犯す間違いは、キャラクターを登場させたその場面で、特徴のほとんどを長々とばらしてしまうことだ。それでは、それ以降の場面が平坦でつまらなくなってしまう。場面ごとに、機会がある度に新しい側面を明かす。その方が効果的な戦略だ。

 やはり、情報を受け手に渡すタイミングが重要だということか。

 

 とにかく印象に残るのは、「対立」「変化」「能動的」「語るな、見せろ」という言葉。「語るな、見せろ」のお手本は無声映画か、とか他にも気になるところはあったけど、なにしろ解説量が多いので一部だけ……。

 

CHAPTER 8 ト書き:スタイリッシュに心を掴む

異議を挟む人もいるかもしれないが、文章を書く以上は、どのページも、どの段落も、文節も、単語も、脚本の中にある以上はすべて重要だと私は考えている。あなたの脚本の中に「まあ、いいかも」程度のト書きが紛れ込む余地はないのだ。それぞれの文が、感情的インパクトを与える力を持つべきなのだ。

 小説についてもよく同じことが言われるな、と思った。理想とか志の話だろうけど。

 

 次に、素人がやりやすい三つの失敗例があげられている。

  1. 外見、書式、誤字脱字
  2. 書き込み過ぎ、細か過ぎ
  3. 酷い文章

 「酷い文章」については特に何が酷いのか等の解説はなかったな。「書き込み過ぎ、細か過ぎ」については、「そういう文章は小説でどうぞ」とあるから、あくまで脚本についての指摘なのかもしれないけど、まあ小説でもあまりくどい文章は好まれないだろう。「動詞に導かれた映像的な、動的な文章」「1つの段落も4行を超えることはない」辺りは、具体的だなと思った。

 

 次に説明しているのは、「フィクションの世界にどっぷり浸った読者に冷や水を浴びせるようなこと」としてやってはいけないこと。

  • 撮影指示を書かない
  • 受け身の言葉を使わない
  • 否定形を使わない
  • 括弧を使わない
  • 修飾語を使わない
  • 「~を始める」、そして「~している」を使わない
  • 「そこに」を使わない
  • 「~が見える」「~が聞こえる」を使わない

 撮影指示や括弧というのはさておき、他の解説はふつうに文章を書くときの参考になりそうだったので、ちょっとまとめてみる。

 

 受け身の言葉を使わないというのは、「この自動車はジェーンによって運転される」ではなく「ジェーンが運転している」と書くこと。

 

 否定形を使わない。「気前がよくない」ではなく「守銭奴」、「手際がよくない」よりも「不器用」、「~でない」と書くよりも「~だ」と書いた方が効果的だということ。

 

 修飾語を使わない。「ゆっくり歩く」は「ぶらつく」、「速く走る」は「疾走する」「突っ走る」「ダッシュする」「爆走する」、「よく見る」は「覗き込む」、「怒って見る」は「睨む」、「いいなあと思って見る」は「羨望の眼差しを向ける」。

 これはよく分かる。わたしも油断するとすぐに修飾語が増えてしまう。より効果的な動詞に置き換えるためには、類語辞典は必須とのこと。うう、修飾を減らすには語彙が必要なんだな。

 

 「そこに」を使わない。指示代名詞(これ、それ、あれ、どれ)は減らせというのもよく言われることだけど、語彙が思い浮かばないときには便利なので、頼りがちになる。(「もの」「こと」も同じく)わかっているけど、難しい……。

 

 以降も有名作品のシナリオが引用されて色々説明されてるけれど、これも長いのでざっくり。

 「語るな、見せろ」は、「状態を描写するのではなく、それが何をしているのか描写する」。ディテール。修飾の少ない躍動的な動詞。キャラクターを動かしながら、その行動と反応に情報を織り込む。

 

CHAPTER 9 台詞:鮮烈な声

 実際のシナリオからの引用が多いためか、この章だけで116ページもあった。

脚本の中で、一番重要であると同時に一番重要でないのが台詞なのだ

 「重要でない」というのは、キャラクター造形や構成に比べれば後からいくらでも修正できるから、という意味だそうで。

 

 たしかに台詞を練るのは大事なんだろうけど、映画を見ていると、機転が利いているなぁと思う反面「大人から子どもまで、気が利きすぎていてちょっとわざとらしいな」と感じることもある。文化の違いだろうか。

 わたしは鈍い観客なので、暗喩とかダブルミーニングとか気づかず聞き流していることがよくある。

 

CHAPTER 10 最後に:ページに描く

 短いしまとめなので割愛。 

 

 

 以上。

 ……。疲れた。

 自分のために気になったとこだけまとめようと思ったのに、とにかく項目が細かくて多かったので、無謀だった気がする。

 面白さの要素を解体し分析し、説明されると「ああ、そうか」と腑に落ちることは多いし興味深いが、実際にそれを作ってみろと言われたら、これだけの要素を駆使しなければいけないのか……と呆然とするしかないだろう。とはいえ、この本はあくまでハリウッドの脚本のお話なので、自分にはあまり関係ないんだけど。

 いやー、面白いお話を作るのって、本当に大変なんですね。