後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

雑草に魂などあってたまるものか

 ふと、家の近くにある駐車場の、割れたアスファルトからニョキニョキと飛び出ている雑草が風に揺れているのを見て、思い出した。わたしが思い出すようなことなのだから、当然のように後ろ向きな懸念事項だ。

 我が家には、家から車で十五分ほど離れた場所に買った小さな土地があって、そこはいつも雑草で生い茂り、刈るのに苦労している。土地を買ったのはわたしの親で、今は何にも使えない土地だが将来的には使えるようになるかもしれないという算段で買った土地だという。

 意味が、わからない。そう思ったが、わたしは土地のことには無知なのでとくに何も言わなかった。

 だがその土地は、相変わらず何も使えるようにはなっていない。家は建てられないし、物置にもできないし、駐車場にもできない。菜園にはできるようだが、家から遠すぎる。定期的に、母が生い茂った雑草を定期的に刈りに行く。何にも使えない、使える予定もない土地を、汗水垂らして。

 たまに手伝いもするけれど、その土地にはかなり固い根を張る雑草がぎっしりと地面の下に張り巡らされていて、表面をいくら刈ってもきりがない。除草剤を使っても無駄だった。だがやらなければ、雑草は隣の土地にまで浸食していく。

 今はさすがに売ろうとしているようだが、当然こんな何にも使えない中半端な土地は簡単には売れない。わたしだって欲しくない。欲しくないが、ちょっとまて。もしかして、親が亡くなったらこの土地、わたしが負担しなきゃいけなくなるんじゃないの?

 吐き気がしてきた。

 いや、土地とか相続とかまったくわからないし、わたし自身がそれほど長く生きる気力ももちそうにないんだけど。嫌だ。免許は一応もってるけどペーパードライバーだからそこまで移動する手段にも困るし、母のようにトラックを運転することもできないから大量の雑草を刈って運ぶことも難しいし、そのくせ税金とか払わないといけないんですよね? おい、ふざけてんのか。

 ぎゃああああああああ! と、ムンク顔で叫びたくなる。

 だがしかし、この程度の我が家の不安材料などまだ序の口なのだ。他にも色々と、色々と、わたしなどの手には余って余りすぎる、改善の余地のない問題がいくつもあるのだ。

 解決手段ならないこともない。大金さえあればいいのだ。金さえあれば、大抵のことは解決できる。今から宝くじで数億円当たるとか、そうすればわたしは安心して生きられる。だがそれができないから、みんな苦悩して生きている。金のないことに不安や悩みを抱え、苦しんで生きているのはわたしだけではない。

 ああ、こんな大人になりたくなかった、という大人に無事になった。人生とは、なんと虚しいものだろう……。

 と、雑草から発想を飛躍させるだけでも、いつもと同じところに着地するわけである。