後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

日曜雑記

 天気のよい日曜日だ。

 昼食を何にするか、悩む。

 行動記録をつけることによってましになった気もするが、買い物の選択と決断に迷いまくるのと同じ原理によって、以前は三十分くらい悩み続けていることもあった。

 

 で、出来たのが以下のスパゲティー。

 

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 冷凍豚挽肉をそのままフライパンに適量ぶちこみ、切った小松菜としめじと炒め、茹でたスパゲティーを投入し、ケチャップとウスターソースで適当に味付け。食べて味が薄かったら、後から塩をかける。

 

 料理を作るときに気が重くなるのは、ゴミと洗い物である。

 この程度の料理一品を作るにも、「まな板、包丁、パスタを茹でる大きめの鍋、パスタの水切りをするためのザル、菜箸、フライパン、ヘラ、皿、フォーク」を用意して、使い終わったら洗わなければならない。とくに鍋やフライパン、ザルは幅を取るので置き場所に困る。

 

 面倒くさいから困るわけではない。我が家には、キッチンの周辺(その他)に対して異様に神経質な家族がいて、少しでも自分の気に入らないことが目につくと不機嫌になるのだ。最近は多少はましになってきたが、数年前は本当にひどくてこちらの精神がやられてしまった。今でもその後遺症があるので、思い出しただけでストレスで憂鬱になる。

 だからゴミも洗い物も、極力少なくしたいのだ。その家族は、最近はゴミ箱の中のゴミまで気の済むまで整理整頓するようになった。きつい。ちなみに、これらの件について対話は不可能なことは思い知っている。

 

 風呂を洗う。ネットをやり、ゲームをやり、洗濯物をとりこんで畳む。溜まった雑誌を縛って処分することにし、部屋に掃除機をかけ、埃を拭う。汗をかいて喉が渇いたので、たまにはと思い、近所の自動販売機にコーラを買いに行く。スーパーやドラッグストアで買えば、六十円近く安く買えるペットボトル。マンガを読み、日課の運動をこなす。汗だくになる。テレビをつけると、『きかんしゃトーマス』がやっていた。いつ見ても、労働と人間関係の話を子ども向けに作っていることに感心する。それからまたネットとゲーム、たまに他の作業もする。その後、夕食。

 その夕食の席で、四十年以上音信不通で、数年前にようやく消息が知れたかと思ったら病気で生活保護を受けていると連絡のあった親類が、とうとう亡くなったと知った。末期癌で、そろそろだろうと病院から連絡は来ていたが、早かった。

 

 なんと言えばよいのだろう。「どうでもいい」とは思えないし「無関係」とも思えない。「同情や憐憫」もなければ、「共感」もない。(そんなものを抱けるほど会ったこともない他人のことはわからない)ぼんやりとした、諦めに似た哀しいものが、宙を漂っている。よくわからない。わからないからこそ、割り切れないものがある。単なる感傷かもしれない。行き場のない、脱力した怒りのような、虚しさのような。

 

 まあ、そんな日曜日だった。